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ぼくたちはなぜリスクを選ぶのか。

きのう、進化心理学の本を読んでいた。

きっかけは、ダンバー数だ。人間が(会話に基づく)安定的な関係を維持できる集団の上限を「150人」だとする、例の学説である。これについてもうすこし詳しく知りたいと思い、周辺情報を調べていたところ、ダンバー数の話には続きがあって、「すなわち、人間らしい心の働きは150人までの生活集団を前提にデザインされている」ということになるらしい。そしてそれは進化心理学という学問に詳しいらしい。……おもしろそうじゃないか。

ということで関連の入門書を読んでいたのだけど、さっそくおもしろい話があった。進化心理学的に見た、「恐怖という感情」の話である。

人間も、ほかの動物も、恐怖という感情をもっている。恐怖とは、身に迫る危険を回避して、安全な行動をとらせるべく発動される感情である。

であるならば我々は、なるべく臆病でいたほうがいい。臆病の度合いが強ければ強いほど、危険を回避できるのだし、生存の可能性が上がるのだ。臆病は、すばらしい資質である。

しかしながらそれは、個体レベルでの話だ。みんながみんな臆病で、なんらリスクをとらないような集団だった場合、その群れはあたらしい土地にたどり着くこともできないし、狩りだってうまくいかないかもしれない。つまり集団のなかには、一定数の勇敢な個体が必要となる。感情に置き換えていうと、その心理特性は「冒険心」や「好奇心」と呼べるだろう。冒険心や好奇心は(進化心理学の文脈でいえば)、恐怖の反対感情といえる。

さて、おもしろいのはここからだ。先にも触れたように、個体としての我々は臆病でいたほうがいい。蛮勇(冒険心)をもった個体は、みずからが選んだ危険の結果、大怪我を負ったり、命を落としてしまうこともある。行動としては強いようだけれども、寿命という意味では弱い。生存競争の過程で、淘汰されてしまうはずの個体だ。

それでも集団として考えたときには、一定数の無謀な冒険家が必要になる。そうしないと、集団のレベルで淘汰されてしまう。150人なら150人のなかに、何人かの冒険家を持たなければならない。どうすればいいのか。


ここで登場するのが尊敬や称賛、また名誉なのだという。

臆病な集団の成員たちは、冒険に出る誰かを称賛する。冒険から無事に帰ってきた誰かを尊敬する。危険をかえりみない冒険から帰還した誰かは、それを名誉に感じる。

こういう「勇敢な者を讃える」という集団心理が、結果として集団から一定数の冒険家を排出させてきたのではないか、とその本には書いてあった。

なるほどなあ、と思った。生存のために必要な「恐怖」。変化や成長に欠かせない「冒険心」と「好奇心」。そしてリスクを選ぶ背後にある「称賛」への欲求。ビジネスの話に置き換えても、スポーツの話に置き換えても、人間関係の話に置き換えても、いろいろ腑に落ちるところがある。

ちなみに読んだのは、こちらの本。いま紹介した話はあまり本筋じゃないところで、さらっと登場します。そして進化心理学についてはまだ調べはじめたばかりなので、この話の学説的妥当性についてはよく知らないことを、念のため申し添えておきます。

それにしても、ねえ。

あなたの好奇心がみんなを前に進め、みんなをよくしていくかもしれないんですよ。好奇心とか冒険心とか勇気とかって、自分の満足のためでありながら、同時にみんなのためにあるのかもしれないんですよ。それはおもしろい話だよなあ。