その企画を「事業」と言い換えよう。
若いころ、求人情報誌の仕事をしていた時期がある。
巻頭グラビアページで、経営者や人事担当者にインタビューするのが当時の主な仕事だった。会社勤めの経験もロクにない金髪フリーライターが、よくあんな仕事をやっていたものだと、いまでは思う。インタビューは好きだったし、原稿もそれぞれ好評だったから、いちおうあれでよかったのだろう。
いまの若い方々はそういう雑誌の存在も知らないかもしれないが、求人情報誌とは求人広告がたっぷり掲載された雑誌のことである。たっぷりどころか誌面の95%くらい、つまりほぼ全ページが求人広告で埋めつくされている。ぼくも毎号パラパラめくっていたのだけれど、知っている会社はほとんどない。あったとしてもそれはトヨタや松下電器の○○工場とかの求人で、そもそも——金髪フリーライターのぼくでも知ってるような——大企業は、週刊の求人雑誌経由で採用なんかしていないのだ。
「世のなかにはいろんな会社があるんだなあ」
金髪をボリボリかきながら、ぼくは感心していた。それぞれに社長さんがいて、それぞれに社員さんがいて、おでん屋さんで上司の愚痴を言い合ったりしているんだものなあ、と。フリーランスの自由を謳歌していた当時の自分にイメージできる「そういう規模の会社」は、山田洋次の映画みたいな映像でしかなかった。
あれから20年以上の月日が流れたいま、ぼくはまさしく「そういう規模の会社」で、あろうことか社長さんをやっている。あの雑誌に求人広告を出していたなら、世のなかを舐めきった金髪フリーライターから「こんな会社にも社長がいて、社員がいるんだよなー」との感想を持たれるはずの会社だ。
いやー、儲けたいとか規模を大きくしたいとかはぜんぜん思わないし、自分がその器でないことはよく知ってるんだけど、たくさんの人があこがれてくれるような会社にはしていきたいよ。金髪フリーライターが「おお、この雑誌にあの会社が載ってる!」と目を輝かせるような会社にはさ。
いま、ずっとかかりっきりで「バトンズの学校(仮)」の準備に追われていて、それはバトンズという会社がおおきく変わろうとしているしるしでもあって、ひさしぶりに「わからないから、おもしろい」を味わっているんですよね。1年先の未来がぜんっぜんわからないんだけど、きっとおもしろいことになってると思うんですよね。
最近思うんだけど、あらゆる「企画」って「事業」に言い換えたほうがいいなじゃないかな。
「あたらしい企画を考える」のは「あたらしい事業を考える」ことだし、たとえば本づくりの現場でも「新刊の企画を考える」よりも、「新刊の事業を考える」としたほうが想像が膨らむし、肝が据わる気がするんですよね。
事業ですよ、すべての企画は。儲ける儲けないに関係なく。来月には詳細をお知らせできるはずの「バトンズの学校(仮)」も、事業なんです。儲ける儲けないに関係なく。