見出し画像

こういうときに、頼りにすることば。

ああ、言っちゃったよ。ことばにしちゃったよ。

仕事をしながらふと、「あーあ。なんか、やる気出ないなあ」と声に出し、おおきく背伸びした。きのう夜おそくまで眠れなかったこともあるけれど、よせばいいのに朝方、長めに犬の散歩をしたこともあるけれど、なんとなく気持ちが疲れちゃって、やる気が出ない。

すると向かいの席に座る田中さんが、「わたしまでやる気なくなっちゃったじゃないですか」と言いがかりのような、けれども至極まっとうな申し立てをしてきた。そう、ことばは、感情は、感染しやすいものなのだ。

いろんなニュースを目にして、いろんな人たちの気持ちを思っているうちにぼくも、少しだけ元気がなくなっていたようだ。


たしか『岩田さん』には入っていなかった岩田聡さんのフレーズで、ぼくがとても頼りにしていることばがある。

宮本:
必死、いいですよね。

岩田:

はい、必死は応援します。ただ、たとえばわたし自身も、必死に仕事をしてる自信はあるけど、「にこにこしながら必死」がいいなぁ(笑)。

糸井:
あーー、そうだね!

岩田:
「悲愴」なのはいやです。


任天堂ホームページ
社長が訊く『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』
特別篇 16 「必死」と「悲愴」 より


岩田聡さん、宮本茂さん、糸井重里さんの3人が、クリエイティブについてとことん語り合う鼎談。そのなかで3人は、口を揃えて「必死」の大事さを語る。けれども「悲愴」になってはならない。その理由について宮本さんと糸井さんは、こんなふうに指摘する。


糸井:
でも、表現に「悲愴」が出ちゃうのは「必死」が足らないんじゃないかね。

岩田:
ははははは、「悲愴」なのは「必死」が足らない。

宮本:
「必死」っていうのは、どっちかというと、周りが止めに入るようなものなのでね。「悲愴」なのはなんか、本人がまわりに自分をそう見てほしいと思ってるっていうか。


締切に追われるライターも、原稿がドツボにはまったライターも、割と簡単に「悲愴」へと転がりやすい。しかもSNSのおかけで現在、「本人がまわりに自分をそう見てほしい」の欲求を発散しやすい時代になっている。

『嫌われる勇気』のなかには「真剣であることと、深刻であることを取り違えるな」という話が出てくる。同様に「必死」と「悲愴」はまったく違う。自分が、世のなかが、「悲愴」に傾きかけたときほど、両の足をどっしり踏みなおさなきゃなあ、と思うのだ。

いいよなあ、きっぱりと「悲愴なのは、いやです」って。