ふせんと経年変化。
ふせんが好きだ。
本を読んでて気になったことば、取材のなかで出てきたことば、じぶんがふと思いついたことばを、ふせんにメモする。それをパソコンのディスプレイに貼っておく。
思いやことばは、移り変わるものだし、いつか消えていくものだ。その消えていく速度として、紙と糊でできたふせんはちょうどいい。数ヶ月はそのままのかたちを保ってくれながら、何年もそのかたちを保てるものではない。はらはらと落下し、「もう、貼ってなくてもいいよね」とゴミ箱に消えていく。
きのうまた、ある取材を終えたあとに、あたらしいふせんを貼った。
いまも視線を少しだけ動かすと、そのことばが目に入る。これから長い時間をかけてここに書かれたことばを咀嚼し、やがて「もう、貼ってなくてもいいよね」になるのだろう。
ふせんを一枚貼ったとき、ぼくは「こっちのほうに行きたい」と願っているのだし、そのふせんが剥落したとき、ぼくは前のじぶんと比べて少しだけ変わっているのだろう。成長しているのではなく、ただ変わっているのだろう。ひと言でいえば「経年変化」しているのだろう。
成長する必要はないけど、いい経年変化をしたいよね。