見出し画像

こんな書評を書いていた。

そういや、こんなの書いてたんだっけ。

10年ほど前、増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の書評を書いていたことを思い出した。格闘技ファンにしか伝わらない用語だらけの文章ではあるものの、自分で懐かしく読み返した。あの本、もう一度読んでみようかな、とさえ思った。ここに再録する。


叛史の評伝
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』


小学生のころ、折からのプロレスブームもあってか、子ども向けの「プロレスラー大百科」的な本が数多く出回っていた。いま考えると、ウルトラマンの怪獣や仮面ライダーの怪人を集めた「怪獣・怪人大百科」的なカタログ本とまったく同じ構造の本である。

そんなカタログ本の筆頭に決まって登場するのが、初代NWA王者として知られるフランク・ゴッチである(当時は歴代NWA王者を順に紹介するのが一般的だった)。

真ん中分けの紳士然とした髪型に、端正な顔立ちと分厚い体躯。19世紀から20世紀にかけて活躍したという彼は、鉄人ルー・テーズですら伝聞情報しか持たない歴史上の人物で、「ゴッチの前にゴッチなく、ゴッチの後にゴッチなし」の名文句とともに紹介されるのが常だった。

てっきり英文和訳のキャッチフレーズだと思っていたこの言葉が、じつは戦前に活躍した柔道家から拝借したものだと知ったのは、かなり後年になってからのことだ。

柔道界で長く語り継がれる言葉、すなわち「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」である。無論、ここで空前絶後として語られる柔道家とは、プロレスファンのあいだでは力道山との「昭和の巌流島決戦」で知られる、あの木村政彦だ。

プロレスに熱中していた小中学生時代、ぼくにとっての木村政彦は、徹頭徹尾カッコ悪い男だった。力道山との戦いで急所蹴りを見舞い、力道山の怒りを買ってボロボロになるまで叩きのめされた柔道家。しかも、その戦いにおいて八百長を申し出ていた柔道家。それがプロレス雑誌や関連書籍を介して知るところの木村政彦だった。

もちろん、UFC発足後のグレイシー柔術台頭などにより、木村の名誉は大いに回復される。しかし、そこで語られる「伝説の柔道家」像も、どこかプロレス的ファンタジーに彩られたものだった。

さて、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』である。

これは <正史> を覆さんとする、<叛史>のノンフィクションだ。

<正史> とはなにか。『砂のクロニクル』や『虹の谷の五月』で知られる作家・船戸与一は、70年代に豊浦志朗名義で刊行した『叛アメリカ史』において、次のように定義している。

【正史】

教科書に書かれた歴史はみごとに首尾一貫している。

強いものが勝つ。

この当然の力学が説明されるために、数字がならべたてられ、条文や宣言が熱心に盛りこまれる。感情移入を排除したかのごとく見せかける技術がフル回転させられ、無味乾燥な体をなす歴史記述の中で、単純な力学はいつのまにかねばねばした法則にすり変わる。

勝ったものは正しい。

これが今日、歴史体系といわれているものであり、近代以降、この体系の内奥にはつねに巧妙な倫理主義が秘められているのである。正史の編纂者とはまさにこういう歴史体系のたゆまざる創造者であり、補足修正の技術者にほかならない。

彼らの努力によって、人は、俗にいう歴史(正史)を読めば読むほど、力学の縦軸、倫理主義の横軸によって固定化された一つの座標軸の中での発想を余儀なくされる。この座標軸から自由になろうとすれば容赦なき報復が待ちうけているという恫喝が伏文字として機能しているから。

呪縛。

これが正史の出発から究極までの一貫した狙いである。

『叛アメリカ史』(豊浦志朗)

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の著者、増田俊也が覆さんとしたのは、2つの <正史> だった。

(1)近代柔道史
(2)昭和格闘技史

豊浦志朗によると <正史> の編纂者は「権力総体」だ。

そして近代柔道における権力とは「講道館」であり、昭和の格闘技における権力とはよくも悪くも「力道山」である。

増田は執念に満ちた取材活動の末、丹念に <正史> の矛盾をひとつずつ暴き、その背後にあったはずの史実、つまり<叛史> を編纂していく。

特に高専柔道(厳密には七帝柔道)出身者でもある増田の描く戦前から戦後混乱期にかけての <叛柔道史=叛講道館史> は資料的価値も高く、講道館の編纂する <正史> を塗り替える可能性に満ちている。

しかし、昭和格闘技の <正史> を覆さんとするところで、増田の思惑は少しずつ狂っていく。<叛史> の主人公たる木村の動きに、微妙な狂いが生じてくる。

木村を信じたい。

長らく思い描いていた物語を信じたい。

けれども、まさか自分が己の都合によって虚偽の <正史> を編纂するわけにはいかない。

自ら思い描いていた <叛史> の悲劇的崩壊を予期しながら、それでも作家の矜持を守り、手を緩めることなく筆を進めていく増田。ラスト100~200ページの哀しみに満ちた展開は、読む者の心を決して捕らえて放さない。魂が震えるとは、このことだ。

増田のたどり着いた結論は、あまりに残酷である。

木村は疑問の余地がないほどに、世界最強だった。

しかしあの日、木村は力道山に負けた。

あらゆる意味で、負けた。

はからずも増田は、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」という自身の絶対的な <正史> にさえも、疑問を投げかけることになったのだ。なんと壮絶な <叛史> のノンフィクションだろう。

物語の最後、妻と散歩する晩年の木村は、ある印象的な言葉をつぶやく。


ほんとうの勝者は誰だったのか。

生き続けるとはどういうことか。

人はなんのために、そして誰のために生きるのか。

紛れもない、渾身の傑作だ。