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連続ドラマに考える。

困ったものだ。一昨日から『愛の不時着』を観ている。

おそらくはあと2〜3話で最終回。きょうだって朝の6時くらいまで観て、眠い眼を擦りながら出社している。ドラマ自体の感想やあれこれをことばにするのは最終回が終わってにしようと思うけれど、連続ドラマのおそろしさをいま、痛切に実感している。

Netflix 的なもので視聴する連続ドラマの場合、「やめどき」は自分で決めなければならない。そして「とりあえずきょうは1話だけ観ようかな」みたいな計画的視聴は、なかなかできないよう連続ドラマはつくられている。各回のラスト、次回へとつなぐ「あおり」が暴力的にえげつなく、「そりゃ押すしかないじゃんよー!」と絶叫しながら 《次のエピソードへ》 ボタンを押すことになる。それをくり返しているうちに朝が来て、気力体力が尽き果てそのままソファで寝落ちする。寝落ちしたのも束の間、目を覚ました犬があそびやごはんを要求し、執拗に顔舐めをくり返してくる。寝れん。どうやら『愛の不時着』はシーズン1で完結するドラマのようだけれど、これがシーズン5とか8とかまで続くドラマである場合、ほとんど廃人化することを覚悟して最初の1話を観なければならない。


作家の角田光代さんは文芸誌(純文学)から小説誌(エンタメ)へ移る際、編集者さんから「あなたはこれまで、読者をページに立ち止まらせる小説を書いていたけれど、今度はページをどんどんめくりたくなる小説を書いてください」と依頼され、『対岸の彼女』が生まれたのだそうだ。


ページをどんどんめくりたくなる本。読みはじめたら最後、続きが気になって明け方まで「やめどき」がわからなくなる本。だから読みはじめることに多大な勇気を必要とする本。

そういう連続ドラマ的な本が、つくれたらいいなあと思っている。