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成長するわたしたち。

これはとても大きな進歩なのだと思う。

うちの犬は、ビーグルという狩猟のためにつくられた犬である。そしてビーグルは、狩猟犬のなかでも「嗅覚ハウンド」と呼ばれる嗅覚にすぐれた犬種で、動物の匂いを追って狩りを助ける。しばしばビーグルが国際空港などの場で麻薬探知犬や検疫探知犬として活躍するのは、その類い稀な嗅覚ゆえのお仕事なのだ。

ただし、その嗅覚ゆえにビーグルは、非常に「くんくん」が好きである。散歩中、ひっきりなしに「くんくん」をする。いろんな匂いのする土のうえはもちろんのこと、アスファルトやコンクリートのうえでも鼻先をへばりつけて「くんくん」しながら歩行する。

さらにまた、ビーグルはたいへんな大食漢である。うちの犬がまだ子どもだったときに公園で、むかしビーグルを飼っていた、という女のひとに声をかけられた。犬をあやしながら女性は言った。「残念だねー。きみは一生『まんぷく』になることのないまま生きるんだよー」と。たしかにうちの犬、いつでもお腹を空かせている。「どんよく」に、食べものを求める。それゆえしばしば極度に肥満化したビーグルを見かけるのだけど、できれば太らせないであげたい。がまんして、食事量をコントロールしている。

と、腹を空かせたうちの犬は、散歩中の「くんくん」でなにか食えそうなものを見つけ出し、ぺろり拾い食いをしてしまう。人間の食べ残しはもちろんのこと、枯れ葉を食べたり、ティッシュパーパーやその他紙類を食べたり、いちばん驚いたのは道に落ちていたマスクを食べたことだ。病院に搬送して吐かせたことも、一度や二度ではない。

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結果、ぼくにとっての犬の散歩とは、「いかにたくさんの運動をさせるか」の道であると同時に、「いかにして拾い食いをさせないか」をめぐる、バチバチの真剣勝負でもあるのだ。


そしてここからが本論である。

この連休中、いつもよりも長めに犬と散歩した。散歩しながらぼくは、ずっと原稿のことを考えていた。こんな展開にしよう、この話も入れよう、こう書いたらおもしろくなるぞ。ぶつぶつ呟きながら、ほとんど無我の境地で散歩していた。

ふと我に返り、足もとの犬を見やった。

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そういえば最近、あまり拾い食いをしない。なにか咥えても「ちょうだい」のひと言でそれを手渡してくれる。正確には、おやつと交換してくれる。


おいおい、成長したなあ、お前。

これからもっと、散歩がたのしくなるなあ。

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犬も人も、ぼくもあなたも、日々少しずつ成長している。その成長にちゃんと気づく自分でありたい。気づけばそれだけで、きょうはうれしいのだ。