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わたしのランチタイム、その逡巡。

さらっと読んだエッセイなので、記憶があやふやなのだけど。

小説家のKさんは、長らく夜型の生活を送っていたのだという。自分は深夜にならないと書けない、と思い込み、夜から机に向かい、小説を執筆されていたのだという。それが、ご結婚を機にだったか、猫を飼ったことを機にだったか忘れたけれど、仕事と生活にリズムをつけなければやってられなくなり、なかばやむにやまれず朝型に切り替えられたそうだ。どんなに締切がせまっていても働くのは朝の9時から夕方5時まで。自宅近くに借りたマンションに毎朝「出勤」し、定められた時間のなかで書く。やってみると「仕事意識」の高まりもあってか、執筆作業もなかなか快調で、わたしはいままでなにをしていたんだろう、どうしてこのスタイルを試さなかったのだろう、と反省したのだそうだ。

そうして9時5時の勤務スタイルに馴染んできたある日のこと。彼女はどうも自分は午前中、ほとんどまともに書いていないことに気づく。お昼を過ぎないとエンジンがかからないことに気づく。

なぜか。

食べることがなによりも大好きな彼女は、午前中ずっと「きょうのお昼はなにを食べようかなあ」「あれもいいな」「これもいいな」ばかりを考えていたことに気づいたのである。

で、ここからがおもしろいのだけど、以来彼女は執筆部屋に手づくり弁当を持参するようになった。あらかじめ弁当を用意することによって、つまりは選択肢をなくすことによって、「なにを食べようかなあ」のへらへら時間をカットしたのだ。億劫だろうと思っていた毎朝の弁当づくりは存外たのしいもので、いまでは日々のたのしみになっているという。


……という話を思い出し、わざわざこうして書いているのはまさに現在、ぼくが「きょうのお昼はなにを食べようかなあ」であたまがいっぱいになっているからだ。

ぼくのオフィスは渋谷にあり、ランチタイムの人気店はどこもかしこも行列になる。そしてどうにも行列が苦手なぼくは、空いている店を探して出かけるのだけど、空いている店とはすなわち不人気店であり、あまりおいしくない店である可能性が高い。

なのでぼくは、交通渋滞をすり抜けて裏道をひた走るタクシー運転手のごとく、空きとうまみの折衷点に位置する店をさがすのが日課だったのだけど、どうも最近その作業が億劫になり、ランチタイム終了ぎりぎりまで空腹をこらえ、そこそこおいしいとんかつ屋に出かけるなどしている。

結果、15時近くまで「腹へったなあ」ばかりが脳内をかけめぐってまるで仕事にならないのをいま、このような文章を書くことでごまかしている。そうだ、がんばればその「腹へった」のどうでもいいひと言からブログの1本や2本は書けるのだと自分に言い聞かせながら。