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考えてみれば、天国と地獄って。

天国と地獄について考える。

あたりまえの話としてぼくたちは、天国に行ったこともないし、地獄に落ちたこともない。そんなものが存在しているのかどうかも、わからない。というか、たとえば赤鬼めいた閻魔様が待ち受けているような地獄は、生前に嘘をついたからと舌を抜かれるような地獄は、間違いなく存在しない。

そういう話とは別に、ぼくらは天国と地獄を知っている。

たとえば「ラーメン天国」ということばは現実のたとえとしておおいにありえるし、「ラーメン地獄」の比喩もまた、ありえるだろう。エアコンの壊れた蒸し風呂のような空間で、ひたすらラーメンを食わされるラーメン地獄。あるいは、全国のありとあらゆる名店が一堂に会し、好きなラーメンを好き放題に食べられるラーメン天国。

そう考えてみると天国と地獄は、それが永遠にくり返される無間性、もしくはどこまでも広がる無限性において、とてもよく似た場所である。

違いはやはり、それが能動なのか受動なのか、なのだろう。大好きであるはずのラーメンであっても、強制的にそればかりを食べさせられたら「地獄」となる。人間が幸せであるか否かは、「好きなこと」ができるかどうかというより、「望んでやっているのか」「やらされているのか」にかかっているのだ。空想上のラーメン地獄がそうであるように、たとえ好きなことであっても、強制的にやらされるばかりでは心がまいってしまうのだ。


……なんて思いつきを書いたのは他でもない。

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第二稿の推敲がようやく終わり、思わず「ふせん地獄」のことばが出てしまったからである。