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書類の数だけぼくたちは。

書類の多い人生だ。

毎日のように、役所や取引先、不動産会社などから封書が届く。カッターナイフでそろそろと開封する。中身を確認して、指定口座にお金を振り込んだり、判を押して返送したりする。もちろんそれぞれの書類は保管しておかねばならない。紙の書類は、たまる一方だ。

一方、届く書類のほとんどすべては封筒に入っている。口座番号だの請求金額だの場合によってはパスワードだの、秘匿情報満載の書類だ。まさか裸で送ることはできず、封筒に入れた状態で発送される。つまり書類が届くたびに封筒のゴミが発生するわけで、いかにも環境によろしくない。

そこでペーパーレス化が叫ばれるわけだけど、ペーパーレス化によって「レス」されるのは紙の書類や封筒だけでなく、それを届けるポストマンもまた消失されることになる。そしてポストマンや彼らをつなぐ郵便・宅配システムに対して支払っている届け賃、すなわち切手代や配送料もまた、ペーパーレスでは「レス」される。

そして朱肉をつかってハンコを押す手間、そこにまつわる若干の緊張感、なくしたり破ったり汚したりしたら駄目だというプレッシャーからも、解放される。考えれば考えるほどペーパーレスの恩恵はおおきい。

しかし、である。

仮にあらゆる契約ごとがペーパーレス化されたとして、スマホのなかで完結するようになったとして、ぼくは契約書の文言をしっかり読んだうえで判を押すだろうか。

これはなかなかむずかしい問題で、スマホというデバイスにはどうも人の心を気忙しくするところがあるというか、先へ先へとスクロールさせ、さっさと「了解」や「次へ」や「決定」のボタンをタップさせる傾向がある。なので、じっくり読むべき契約書はパソコンで確認し、いくつかの本人確認ステップを踏んだうえで判を押すようなシステムにしたほうがセキュリティ的にもいいだろう。

けれどもそれをやりすぎるとペーパーレス化の醍醐味が失われ、ただの「紙レス」に落ち着きかねない。

なんて話をだらだら書いているのは、片づけるべき書類がいろいろあり、面倒くせえなあ、と思っているからである。


思えば子どものころ、自分の印鑑なんて持っていなかったし、自分が処理すべき書類も一枚もなかった。おとなになるにつれて印鑑が増え、書類が増えていった。会社をつくるとまた、書類が倍増した。公私にわたってさまざまの書類に囲まれている自分、もしかしたらそれだけおとなになった、ということなのかもしれない。