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まだ決めない、と決めてみる。

きのう、幡野広志さんと田中泰延さんのイベントに参加した。

会場は早稲田大学の小野記念講堂。事前に募った4人の大学生が、幡野さんと泰延さんに悩みをぶつける、公開人生相談イベントだ。新聞、雑誌、テレビの世界において、人生相談は普遍的な地位をもつコンテンツだ。たとえばみのもんたさん全盛期の昼番組「午後は○○おもいッきりテレビ」のなかにも、「ちょっと聞いてョ!おもいッきり生電話」という視聴者参加型の人生相談コーナーがあった。いかにも不機嫌そうな顔でネクタイをいじりながら相談者の訴えに耳を傾け、ときに厳しく叱責するみのもんたさん。非常におもしろいエンターテインメントでありながら、ぼくはあのコーナーにひとつの不満を持っていた。

相談者の9割が(おそらく中年層の)主婦たちで、相談の半分以上が嫁姑まわりの話だったことだ。当時20代の独身男性、なんなら学生でさえあったぼくにとって、その相談はまるっきり胸に響かないものだった。


そしてきのうのイベント。

4人の相談者のうち、2人がはっきりと「就職活動」について、悩みや疑問をぶつけていた。そうだよねえ、わかんないよねえ、ほんと嫌なものだよねえ、なんてむかしを思い出しながら相談に耳を傾け、幡野さんと泰延さんの答えにうなずいていた。


ぼくが就職活動らしきものをはじめたのは、たぶん大学4年になってからだったと思う。あれの正式名称はなんて言うんだろう、リクルート社から勝手に送られてきた募集企業一覧&資料請求一式セット、みたいな分厚い資料をめくりながら「このなかから選べってことなのかー」と途方に暮れていたのを憶えている。記載されているうち、7割以上は名前も知らない会社だ。かろうじて名前を知っている会社も、特段そこで働きたいとは思えない。インターネットもない時代、なにをどうすればいいのか、ほんとにわからなかった。そしてだんだんと、悩みは怒りに変化していった。

そもそも、である。なぜおれがなんの興味もない会社にのこのこと出かけ、ぺこぺこと頭を下げつつ面接を受けるようなことをしなきゃならないのか。おれだっていま、アルバイトの身とはいえ、毎月10数万円のお金を稼いでいる。バイト仲間にも恵まれ、店長さんにもよくしてもらい、果てには店長さんの結婚式に招いていただいたほど、なかよくさせていただいている。こんなたのしい職場を辞めて、よくわからない会社で働くことを求められている理由といえば「年齢」、それだけじゃないか。大学を卒業する年齢が近づいてきたから、よその働き口を迫られる。なんだかよくわからないまま、出て行けと尻を蹴られる。おかしいじゃないか、やだよそんなの。まだのんびりと、好きな仲間とここにいたいよ。

典型的なモラトリアムである。しかも当時、ぼくが就きたい職業は映画監督か小説家だった。どちらも一般的な「就活」でどうにかなる職業ではなく、自主制作で映画を撮ったり、個人的に小説を書いたりして新人賞に応募するのがたぶん、まっとうな就職活動だ。それは就職活動というより、完全な創作活動だ。


けっきょくぼくは、モラトリアム期間の延長を選んだ。大学に留年して延長するのではなく、「いかにもラクそうな場所」「ぜったいに骨を埋めることのないであろう場所」に職を求め、働きながら創作活動に励む道を選んだ。定時に終わりそうで、重いものを持つ必要もなくて、なんだかみんな優雅に働いている、なんの興味もない場所。そんな目星をつけて選んだ就職先が、メガネ屋さんだったのだ。

実際に働きはじめると、あきれるくらいに忙しくブラックな職場だったのだけど、それはまた別の話。


学生時代の「まだ働きたくない」は、ほとんど「まだ決めたくない」とイコールだったりする。だったらいっそ「まだ決めない、と決める」という道もあると思う。なんの興味もない場所に身を置いて、いつか出て行かざるを得ない場所に身を置いて、働きながら考える。

ぼくの場合、働きながら考えた結果、映画や小説が「ほんとうに、すべてを投げ打ってでもやりたいこと」ではないのだと、気がついた。それでいま、ライターという仕事に就いている。学生時代に「まだ決めない」を決めた自分に、ちょっと感謝している。