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これが終わったら、からっぽになるだろう。

ある意味、手探りではある。

先週の土曜日、「バトンズの学校」第4回講義が終了した。全8回の講義なので、折り返し地点を過ぎたところだ。当初の目論見では、夏のうちにビアガーデンかどこかで懇親会と称し、飲み会を開く予定だった。けれども飲み会を開くどころか対面での講義もむずかしい状況となり、第3回と第4回はリモート開催を余儀なくされている。受講生の方々のリアクションがわかりづらいのと、ぼく自身がリモートに不慣れなのが重なって、若干の手探り感が漂う講義となっている。

そういう不測の事態に見舞われたこともあって、フィードバックをメインに据えた学校にしておいて、ほんとうによかったと思っている。たとえ講義がリモートだったとしても、フィードバック(添削と総評)のかたちは変わらない。ぼくとしてはむしろ、こちらで受講生のみなさんとつながり、濃密な対話をおこなえている感覚だ。

クローズドな場でやっていることだし、受講生やスタッフのみなさんが本音のところでどう感じているのかは、それこそ酒席の場でも設けないと、なかなかわからない。

けれどもぼくには「とんでもないこと」をやっている(やれている)実感が確実にあって、それは『嫌われる勇気』や『取材・執筆・推敲』を書いていたときの感覚にかなり近い。「これが終わったらおれ、からっぽになるだろうな」の思いが、日に日に高まっている感じなのだ。自分や知識や経験やを出し惜しむ気持ち、ゼロだもの。ぼくにとっての「これが終わったらおれ、からっぽになるだろうな」の予感は、いい本ができているいちばんの指標である。

次回10月の講義は会場で開催したいなー。