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終わることなき最後の悪あがき。

あがき、ということばがあってそれは、足掻き、と書く。

あまりいい印象のことばではない。足掻き、という漢字が示すように、苦しまぎれにじたばたするさまを指して、「あがく」という。だいたいの場合においてそれは「悪あがき」とされ、悪あがきはまた「最後の悪あがき」として追い詰められた人間が無駄な抵抗を講じているさまをあざ笑うかのように、用いられる。

けれどもぼくは考える。

悪あがきがあるのならば、それと反対の「良あがき」もあってしかるべきではないかと。なんと読むのかしらないけれど、良あがき。よしあがきでも、りょうあがきでもかまわない。とにかく「良いあがき」は、良いじたばたはあるはずだ。

順を追って考えよう。「最後の悪あがき」を例に考えよう。

最後の、と言っているのだからここには時間的な限りが設定されている。たとえば大学入試の前夜。その大事な本番直前に徹夜で猛勉強するのは、まさしく「最後の悪あがき」である。いまさら徹夜なんかしていないで、さっさと寝るほうがよろしい。

一方、提出期限が明日にせまったレポートはどうだろうか。

それはもう直前まで、提出期限のギリギリまで、粘ったほうがいい。もしかしたら天才的なアイデアが降ってくるかもしれないのだし、そういう奇跡は起こらずとも重大な誤記を発見したりすることは大いにありえる。もの書きにとっての原稿など、まさにこれだ。明日の午前11時が締切ならば、直前の午前10時59分まで粘ったほうがいい。ここでの粘りは「最後の良あがき」である。

じゃあ、「最後の悪あがき」と「最後の良あがき」はどこが違うのか。

これは「本番」のあり方が違うのではないかと思う。大学入試については、会場に到着して、決められた席に座って、問題用紙が配られて、ひとつおおきく深呼吸して、よーいドン、と開始のチャイムが鳴ってからが「本番」である。そこにいたるまでの受験勉強は、壮大な準備にすぎない。

しかしながらレポートを書くとか原稿を書くとかの作業は、ずーっと本番なのだ。何日も、何週間も、ときに何年も、絶え間なく本番が続いている。そしてその本番が終了するギリギリのところで、「最後の良あがき」が生まれる。

逆に言うと大学入試のなかにも当然、「最後の良あがき」は存在する。試験終了直前に、もう一度問題文を読み返す。そこへの解答を確認する。氏名を正しく書いているか、確認する。これら本番中におこなう作業は完全に「最後の良あがき」と言えよう。


なにかと足掻いてばかりの人生だったなあ、と思う。いまでも足掻いているし、いよいよ設定された次回作の締切直前にもまた、猛烈な足掻きを自分は見せるだろう。「あがき」によってしか生まれない力はたしかにある、とぼくは思うのだ。