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週末のインスタグラムと、それを見るおれ。

自分はいったいなにをやっているんだろうなあ。

たとえば木曜日。いよいよ週末が迫りつつあることを実感してぼくは毎週、小規模ながらラストスパートがかかる。今週中にここまでは終わらせよう、ここまでは書いてしまおう、と一応のラストスパートがかかる。同時に週末にはあれをしよう、これをしよう、とプライベート方面の予定をいくつか立てる。あの本を読もうとか、あの映画を観ようとか、きわめて小規模な、予定ともいえないような予定だ。

けれども結局、犬とソファでごろごろしたりして一日が過ぎていく。気がつけば陽も暮れた夕方、わあ、散歩に行かなきゃ。犬を連れて2時間ほどの散歩に出かける。そして帰宅すればもう、晩ごはんだ。


それはそれで素敵な週末じゃないか。お前はそういう週末が過ごしたくて犬を迎え入れたんじゃないのか。犬を迎えるため、わざわざ引越までしたんじゃないのか。同じ町の、同じ丁目の、数百メートルと離れていないマンションにわざわざ。

たしかにそうなんだけれど、困るのがツイッターやフェイスブック、インスタグラムといったソーシャルメディアの存在である。たとえば土曜の夕方、犬とごろごろしながらスマホに手を伸ばし、ふいにインスタグラムを立ち上げる。すると、どう考えてもぼくよりも有意義な週末を過ごしている誰かさんの「いま」が、そこに写真付きで表示されている。ぼくはインスタグラムで、犬とその飼い主さんを中心にフォローしているのだけれど、よその犬々はいかにもたのしげな行楽地に飼い主さんと出かけ、犬生を満喫している。観光地のアイコニックな建造物とお行儀よく写真に収まっていたり、当地のドッグカフェでにんじんやグリーンピースがトッピングされた蒸し鶏料理を食べていたり、その蒸し鶏料理が肉球をあしらった白い陶器に盛られていたり、カラフルな衣装を着込んだ犬友達たちとなかよくくんくんし合っていたりと、映える写真ばかりがタイムラインを占拠している。

それにひきかえ、いまソファで一緒に寝ているお前、おれの腕まくらでぬくぬくと熟睡しているお前はどうだ。それでいいのか、お前はいったい。



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父親であるぼくがアウトドア派というか、おでかけ好きの人間だったなら、こいつももっと、違う性格になったんだろうなあ。惰眠をむさぼる犬の寝顔を見ていたら、だんだん自分を見てるような気になってくるんですよ。

正月休みはもうちょっと「散歩じゃないおでかけ」に連れていってあげようと思います。まあ、けっきょくごはんと散歩がいちばん好きな犬なんですけどね。