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パンダとわたし、犬と猫。

貴様、それでも九州男児か。

そんなお叱りを受けようと受けまいと、馬耳東風。ぼくは「かわいいもの」が大好きなおっさんである。ミッキーマウスやドーモくんのTシャツも着るし、チェブラーシカは何度観たかわからないし、すてきな洋服、試着してみたいと思える洋服を見つけたときの第一声は「おっ、かわいい」である。

そしてアイドルの写真集は一冊たりとも購入したことがないけれど、ある動物の写真集は購入している。パンダの写真集だ。

いったい神は、地球は、母なる大地は、なにを考えてこのような動物をつくりたもうたのか。パンダを眺め、パンダを知り、パンダを考えていると、ほんとに世のなかがわからなくなってくる。

たとえばパンダは竹を主食としている。食物繊維にもほどがある食べものだ。当然ながら消化に悪く、そのほとんど(約8割)は未消化のまま排泄されてしまう。そこでパンダは1日20キロもの竹を食べる。そこまでして竹を食いたいのか、とあきれてしまうが、そういうわけでもないらしい。動物園のパンダは芋やお粥や果物なども盛大に食し、かならずしも竹が主食とは言い切れない食生活をおくっているそうだ。

そんなパンダのおかしいところは、これが決して人間の手によって品種改良された愛玩動物ではない、という点だ。絶滅の危機にあるとはいえ、これが、この珍妙なる役立たずの生きものが、このままの姿で自然界に生まれ、人里離れた中国の山奥に暮らしているのだ。さほど好きでもない竹を頬張りながら。

自然とは、そして地球とは、なんと懐の深い空間であることか。


もしもIQ200とかの人間が自然界をデザインしたら、役に立たない動物は即刻リストから排除されていくだろう。畜産農家的な、肉やミルクや卵や羽毛など、わかりやすいメリットを提供してくれる動物ばかりを集め、繊維まみれの排泄物を大量生産するばかりのパンダには居場所がなくなるだろう。

そういえばむかし、愛犬を卑下しながら語られる、「こいつは人を見たら尻尾ばっかり振って、ちっとも番犬にならないんですよ」という言い方をよく耳にした。犬には門番という機能が与えられ、それもあって庭先につながれることの多い生きものだった。けれどもいま、番犬として犬を飼う人はずいぶん少なくなったのではないか。機能を求めず、ただ「愛らしい生きものがそこにいること」を求めて犬や猫を飼う人が増えているのではないか。ドコノコを見ていると、それを感じる。

そこに「機能」を求めない関係。それはたぶん、ほんとうの友だちだ。



※ ちなみに仕事に疲れたときには、サンディエゴ動物園のパンダ中継を見るといいです。日本との時差は16時間。深夜仕事にぴったりなサイトです。