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本をつくるときにぼくが考えていること。

「企画は『ひと言』で説明できるようにしなさい」

クリエイティブの現場でしばしば語られる教訓である。ほんとうにいい企画は、「ひと言」に要約することができる。ことばを尽くして語らないと伝えきれないような企画は、まだまだ詰めが甘い。その企画(あるいは商品)の核心にあるのはなんなのか、「ひと言」にできるまで考えよう。……およそそんな感じの教訓として語られている。

たしかにこれは正しい考え方なのだけれども、ぼくが普段やっているような本づくりの現場においては、「ひと言」にプラスアルファが必要になると、ぼくは思っている。

たとえば、そうだなあ。「オリンピックの歴史がわかる本」をコンセプトとする企画があったとしよう。一応は「ひと言」だし、どんな本をめざしたいのかも、よくわかる。

けれどもライターとしてこのコンセプトに従って取材し、構成を考え、原稿をまとめていこうとすると、ほぼ間違いなく壁にぶつかる。ぶつからずに書いたとしても、さほどいい本にはならない。なぜか。コンセプトが漠たる「ひと言」であるせいで、その本が誰に、どうやって、どんな感情とともに読まれ、もっと遠いところにいる読者にまで届いていくのか、つくっていてイメージが湧かないのだ。


そこでぼくは、こんなふうに考えることにしている。


本の構成案(企画書)をつくりながら、まだ一文字も原稿を書いていない時点でもう、本の帯や新聞広告に入る推薦コメントの「正解」を考えるのだ。実現可能性はどうだっていいから、たとえば「オリンピックの歴史がわかる本」の場合、こんな感じで考えてみる。


ビル・ゲイツ氏絶賛!!
『理想と欺瞞、欲望とマネー、そしてイデオロギーと戦争。近代オリンピック史を通じて人間の本性に迫る白眉の書だ。』


こうすることで、「この本は、ビル・ゲイツがよろこんでくれることをめざす本なんだな」「この本は、ビル・ゲイツの先にいる読者(ビル・ゲイツ的な価値観を大切にする人)に読んでほしい本なんだな」「スポーツファンに届けるだけじゃダメなんだな」などの指針が見えてくる。

誰が、誰に向けて、どんなことばと文脈で推薦してくれるのか。ビル・ゲイツのような問答無用の大物じゃなくても、たとえば「あの経営者」が推薦してくれる本と、「この経営者」が推薦してくれる本とでは、おのずと性格が違ってくるはずだ。


この春に刊行される〈ライターの教科書〉的な新刊についても、当然このロジックで本の指針を考えた。次の本の帯に入る推薦文、ぜひたのしみにしておいてください。