知ってることと知らないこと。
思えば、のんきな時代だったのかなあ。
以前、アメリカ合衆国にダン・クエールという副大統領がいた。父・ブッシュ時代の若き副大統領だ。彼が放つ幾多のトンデモ発言は、冷戦構造がグラグラ揺れる激動の時代にあって、一服の清涼剤のように受け入れられていた。
ぼくが好きなのは「ラテンアメリカの人々はラテン語を話す」という発言なのだけど、いちばん有名なのはポテト( Potato )のつづりを間違えてアメリカ中の子どもたちから笑われたことだろう。当時のアメリカ家庭では、わが子にポテトと書かせ、「すごいな、お前は大統領になれるぞ!」とほめる自家製コントが広まったのだという。
これがジョークであるうちはぜんぜんかまわないのだけど、どうも最近真顔でこういう話をする人が多くなったような気がする。
○○も知らないくせに口を開くな、的な個人攻撃だ。
まあ、たとえば「エイゼンシュテインも知らないくせに映画を語るな」とか、そういうタイプの話である。
・あのひとは「わたしの知っているA」について、なにも知らないらしい。
多くの場合それは、
・あのひとは「わたしの知らないB」について、たくさん知ってるらしい。
とセットになっているはずの話である。
「わたしの知っているA」の丘の上から世界を眺めるのか。それとも、「わたしの知らないB」に目を向けて歩を進めようとするのか。
ぼくは後者でありたいし、かっこいいひとは決まって後者だよな。