拝啓、あなたさま
きのう、これまでの人生でいちばん思いがけなかった取材を受けました。しかも地上波テレビ。本の取材でもなければ、会社の取材でもありません。何年も前に note とは別の場所に書いたブログに関する取材です。
どんなブログだったのか、せっかくなので、全文引用しますね。
先日、DeNAの監督就任交渉が決裂した工藤公康投手が、現役引退を発表されました。西武、ダイエー、巨人、横浜、そして再び西武と渡り歩き、実働29年間で通算224勝をあげた大投手です。今日はその工藤公康さんの話をさせてください。
ときは1999年、当時工藤投手が在籍していた福岡ダイエーホークスが、中日ドラゴンズを破って日本一に輝いたシーズンオフにさかのぼります。
自身はパリーグMVPに輝き、女房役の城島健司捕手は一人前に育ち、まさにホークス黄金時代の幕開けを予感させたシーズンオフ。ダイエー球団側は、日本一最大の功労者と思われる工藤投手に対し、あまりに誠意を欠いた契約交渉を行いました。
もう10年以上前のことなので細かいことは忘れてしまいましたが、工藤投手と球団側がメディアを介してバッシングし合う典型的な泥仕合となり、やがてFAによる巨人移籍が浮上してきます。
そこでホークスファンは工藤投手への署名活動を開始して、なんと15万人以上ものファンが「ホークスに残って」との嘆願書を送りました。ぼくも、そのうちのひとりです。インターネット経由ではありましたが、署名とメッセージを送りました。しかし、ファンの願いは届くことなく、工藤投手は巨人にFA移籍してしまいます。
それから約2年ほどのあいだ、ぼくは巨人のユニフォームを着て活躍する工藤投手を好きになれませんでした。やがて自分が署名活動に参加したことも忘れ、熱心にプロ野球中継を観ることもなくなっていきました。
そんなある日、驚くべきことが起こります。
なんと、当時住んでいたマンションの郵便受けに、工藤投手から住所と宛名が直筆で書かれたハガキが届いていたのです。そのハガキには直筆のサインとともに、こんな言葉が書かれていました。
「マウンドで投げる47の後に いつもあなたの声援があったこと
この5年間に感謝を込めて ありがとうございます」
のちに聞いたところによると、巨人移籍後の工藤投手は、時間を見つけては、自分に嘆願書を送ってくれたファンの全員、つまり15万人のファン全員に対して、このハガキを書いていたのだそうです。
ぼくがハガキを受け取ったのは署名活動から2年後のことでした。きっと何年もかけて、コツコツと書かれていたのでしょう。
それからおよそ10年後、ぼくは『40歳の教科書』という本の企画で工藤投手にインタビューする機会に恵まれます。ただただ「ようやくありがとうを伝えられる!」という喜びでいっぱいでした。
取材当日、ぼくは持参したハガキを差し出して、できるだけストレートに感謝の言葉を伝えました。
工藤投手は照れを隠すように「おおっ!」とハガキを手に取ると、ハガキを見つめたまま、誰に語るともなく語りはじめました。
「いやあ、懐かしいなぁ」
「ちゃんと持っててくれたんだね」
「おれさ、もう一枚も持ってないんだよ。書くばっかりでさ」
「うん、こうやって人から見せてもらったのは初めてだな」
「そうかそうか、うん。懐かしいよね」
「ありがとう、ありがとう」
自筆のハガキを手に、少しだけ恥ずかしそうに語るその笑顔は、まるで旧友と再会した少年のようでした。
FUMI:2 「工藤公康さん。」より
ありがたいことに当時、各所で話題になったり引用されたりしてきたこのブログ記事。それが、回りまわって関西テレビさんの「手紙」をテーマにした特番で紹介されることになり、きのう目を泳がせながらのインタビュー収録がおこなわれた、というわけです。
ただただびっくりな話ではありますが、今シーズンから監督としてホークスに戻ってきた工藤公康さん。放送をきっかけに、その人となりや信念が、ひとりでも多くの人に伝わったらいいなあ。もう、このハガキを受けとった瞬間から一生ついていくことを決めてますので。
ちなみに番組は、関西ローカルとのこと。全国ネットだったら、さすがに恥ずかしくてインタビュー収録はお断りしていたかもしれません。
それにしても、ブログ。書いてみるもんですよ、ほんと。