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卒業よりもたいへんな入学と入社。

入学式、入社式のシーズンである。

多くの人がそうであるように、これまでにぼくは小学校、中学校、高校、そして大学で、入学式を経験している。また新卒で入った会社でも、入社式は執りおこなわれた。当時は濃紺のリクルートスーツという概念がまだ定着しておらず、うぐいす色のスーツで参加したことをよく憶えている。福岡県民御用達、「紳士服のフタタ」で購入したぺらぺらのスーツだ。

基本的に入学式や入社式は、知らない人たちに囲まれる場である。そりゃ、中学校の入学式であれば同じ小学校の生徒もたくさんいるだろう。けれども違う小学校からやってきた生徒も同じくらいか、それ以上にいるはずで、妙な緊張感がある。

そして高校の入学式となると、顔なじみ(同じ中学の卒業生)の数はうんと減り、大学の入学式に至っては参加しているはずの同窓生を探すことすら、困難だったりする。

当たり前の話ではあるものの、年齢を重ねるにしたがってぼくたちは、よりおおきな「知らない人たち」の輪のなかに飛び込むことが求められるのである。入社式なんて、その典型だろう。


で、考える。

たとえば現在、それなりの居心地が確保された共同体に所属しているとしよう。会社でもいいし、趣味の仲間でもいいし、地域社会でもいいし、都道府県でも、日本という国であってもいい。

そしてその共同体を安住の地とせず、えいやと「卒業」することは、とても勇気のいる決断だとされている。実際、それはそうだろう。卒業であれ、独立であれ、前向きにその決断を下した人たちにはもれなく拍手を贈りたい。

しかし、自分がこれまで経験した入学式と卒業式を思い出すかぎり、卒業式にはさみしさこそあれど、感慨があったり、希望があったりもする。気心の知れた仲間同士で、あれこれ語り合うたのしい時間だったりするものだ。

一方、入学式・入社式は、その赤の他人に取り囲まれた「一からやり直し」の感は、とても怖い。そうだ、ドラマやマンガでは希望に満ちあふれた場として描かれがちな入学式・入社式は、本来きっと怖いものなのだ。入社式なんて自分のことを知ってくれている人が、ほとんどいないのだから。

なので卒業を選んだ人と同じかそれ以上の拍手を、入学・入社した人たちに贈りたい。いまは軽い興奮状態にあって自覚できていないかもしれないけれど、心の奥底ではきっと恐怖を感じているはずなのだから。それでもなお、「知らない人たち」のなかに飛び込む選択をしたのだから。


うちの会社で新卒採用をすることは、あったとしても遠い遠い未来だと思うけれど、みんなのことを応援する気持ちはずっと持ってるよ。