いいインタビュー原稿の条件
きょう、急きょ時間をつくっていただいた、取材のような場。
とてもとてもたいせつなお話が聞けたのに、よっぽどあわてていたのだろう。ICレコーダーが回っていなかった、という衝撃の事件が発生した。
帰りのエレベーターで「ひゃあ」と声を上げたぼくは、そのまま編集者に侘びを入れ、喫茶店に直行した。お互いの記憶が新鮮なうちに、その中身を確認しあう作業に入った。さらにはオフィスに戻ったあと、喫茶店でのメモ書きをもとにラフな原稿を書き起こしていった。
出版業界では、取材時に回していたテープを専門の業者さんにお渡しして、「テープ起こし」と呼ばれる素起こしテキストにまとめてもらうことが多い。
けれどもぼくは、時間の許すかぎり、なるべく自分で起こすように心掛けている。起こす時間がなくて業者さんにお願いするときでも、かならず数回はテープを聞き返す。
なぜか。
そこで「なにが語られたか」を知りたければ、テープ起こしを読むだけでわかるだろう。しかし、その話が「どう語られたか」については、音源に耳を傾けないとわからない。
ぼくが音源を聞き返すのは「どう語られたか」の確認作業であり、つまりは話を聞き返しているのではなく、ただただ「声」を聞き返しているのだ。
いいインタビュー原稿からは、ちゃんと「そのひとの声」が聞こえる。
ひとつひとつの文字が、そのひとの声によって再生されていく。
聴くように、読める。
それがぼくの理想とするインタビュー原稿だ。
きょう、取材の場で語られたことばは、いまでも「声」として耳の奥に残っている。なんなら映像付きで、再生できる。けれどもひと晩が過ぎ、明日の太陽が昇ってしまえば、その声や映像は徐々に消えてしまう。概念やキーワードとして、記憶されていく。そして声を失ったまま書かれたインタビュー原稿は、のっぺらぼうの「文字情報」になってしまう。
……ああ、なんとか間に合ってよかった。
とりあえず自分の凡ミスをレコーダーのUIのせいにして、最新型レコーダーをアマゾンで注文しました。便利って、不便です。