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料理をつくるように、それをつくろう。

毎日のように最近、焼きそばをつくっている。

豚バラ肉とカット野菜があればできてしまう、包丁のいらないフライパン料理として焼きそばを、大変重宝している。基本的には麺についてる粉ソースで十分おいしく食べられる舌なのだけど、さすがに何日も続くと味変をしたくなる。塩焼きそばにしたり、豆板醤をふんだんに使った辛味焼きそばにしたり、いろいろだ。そして最近、「これがいちばん好きかもな」という味にたどり着いた。

塩こしょうで下味をつけて、粉ソースを規定量の半分くらい入れて、大さじ一杯くらいのマヨネーズをかけ、醤油をまわしかけて強火で仕上げる。これで「何味」とひと言で表現するのがむずかしい、きわめてジャンクな味わいの焼きそばが、できあがる。ポイントはマヨネーズを焼くことだ。小指サイズに切った厚揚げを追加するなどしても、おいしい。

ぼくのまわりには料理好きが多いのだけど、料理のおもしろさは「仮説」にあるのだと思う。あの素材とこの具材をこうやって組み合わせれば、きっとこんな味になるはずだ、という仮説。しかもそれを冷蔵庫の残りものでやってのけるゲーム性。さらに、なんといってもつくってしまった料理は、たとえ失敗作だったとしても完食しなければならない。また、まずい料理をつくることは、その日の晩飯なら晩飯をフイにすることにもなる。あそびのようで案外、覚悟を要する冒険なのだ、創作メニューは。


コンテンツをつくるのもじつは同じで、実験的な、冒険的ななにかをやること自体は大変けっこうなんだけれど、「それ、つくったからには完食しなきゃいけないんだぞ?」とぼくは思う。「自分がお客さんだったとして、カネを出してそれを食うか? そんなもので腹を満たしたいと思うか?」と。

失敗した料理にどんより箸を付ける(そして完食する)あの悲しさを、ぼくは忘れたくないのである。

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