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すべては梅雨のせいに。

もしかしたら、いい季節なのかもしれない。

いま、東京は梅雨である。わかりやすい梅雨である。カラッと晴れ渡る日がほとんどなく、いつもどんよりしていて、天気予報と関係なしに不意の雨が降る。実際の話、この一週間だけで3度はそういう雨に降られた。雨に濡れるのも嫌だし、それでなくとも日々のどんよりと低気圧は、心が晴れないものである。さっさと梅雨が、明けてほしい。

これはぼくにかぎった話ではないようで、このところぼんやり調子を崩している人、やる気が出ないとぼやく人、深刻な不調を訴える人は、ぼくのまわりだけでもたくさんいる。しかもそういう倦怠感、漠たる不調のパルスには結構な感染力があり、周囲の人々を容易にぐったりさせる。誰が悪いという話ではない。いまが梅雨であるというだけの話だ。

ここで陥りがちなミスが、「調子を上げよう」とジタバタしたり、「やる気を出そう」とカフェイン剤を栄養ドリンクでガブ飲みしたりと、くたびれた自分に喝を入れるような行為である。こんなものは喝を入れているのではなく、自分に鞭を打っているだけだ。尻にあらたな傷ができるだけで、なんら根本的な解決にはつながらない。

不調を不調と認め、なんでも梅雨のせいにしてしまい、お日さまを待つ植物のようにただ、不調(梅雨)が去るのを待つ。そうして梅雨が明けたならば、両手を広げて天を仰ぎ、こう言う。「あけましておめでとう」と。


もう20年近く前、あるタレントさんにインタビューしたときのこと。

その方は長らく、原因不明の病を患っていた。いくら病院をまわって症状を訴えても、血液やCTその他の検査結果は健康そのもの。何人ものお医者さんから気のせいだと言われた。そうして5件目だか6件目だかに訪ねた病院で、ようやく「これは○○○○という非常にめずらしい病気です」と告げられた。病名を告げられたことでようやく彼は安心し、みずからの病(その方の主な症状は頭痛と視野狭窄だった)と向き合えるようになった。そんな話を伺ったことがある。

そう考えると、あらゆる不調を(とりあえずは)梅雨のせいにできるいまの季節は、心と身体を休めるのにいい時期なのかもしれない。しちゃえばいいんだよ、梅雨のせいに。よくわかんない不調もだるさもやる気の低下もなにもかも。