そのほめ言葉は、なにもほめてない。
たとえばどこかのレストランに行く。
おいしい料理をいただいたあと、シェフの方がテーブルまで挨拶にくる。ここで誰かが、こんなことを言う。「いやー、こちらのお料理、隠し味に八丁味噌を使われているんですか? あ、やっぱり? うん、さすがですねえ」。おそらくこれは、「味のわかるひと」としての的確なことばなのだろう。しかし、そう言われたシェフはうれしいだろうか? ……ちっともうれしくないだろうなあ、とぼくは思う。どんなシェフにとっても、いちばんうれしいことばは、「おいしい!」であるはずだ。
だからぼくはシェフの方が見えられると開口一番「おいしいです」と言う。そしてお店を出るときにも「おいしかったです。また来ます」と言う。これはもう、近所のうどん屋さんでもそうだ。
これはライターにとっても、まったく同じことが言える。
ときどき、原稿について「うまいですねえ」とか「お上手ですねえ」みたいなニュアンスのほめ言葉をくださる編集者がいる。ほめてくださっているのだから、ありがたいとは思う。けれども書き手にとって「文章がお上手」とほめられることは、ちっともうれしいものではない。
お上手とほめられていること、つまり技巧を技巧として読み取られているということは、すでに「お上手じゃない」ということなのだ。技巧を技巧と感じさせないものをつくりたいのだし、そこまでいかないと技巧ではないのだ。
料理人に対する最高のほめ言葉が「おいしい」であるように、書き手にとっての最高のほめ言葉は「おもしろい」、それしかない。
愛される編集者は、みんな「おもしろい」の達人だ。そして「お上手」と評されてよろこんでいる書き手は、やがて小手先の技巧におぼれてダメになっていくと思う。
おもしろい原稿、書きたいです。