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運転するおれ、びしょびしょのマスク。

たとえば夜、犬の散歩をしているとき。

通りの向こうから、かすかな歌声が聞こえてくる。自転車に乗った誰かが、気持ちよさげに歌を歌いながらやってくる。すれちがいざま、少しだけその音量が下がる。そしてすれちがうとまた、自分に気持ちのいい音量で歌いながら去っていく。こういう場面でむかしは、知っている流行歌を聞く機会が多かった。けれども最近は知らない歌ばかりを耳にしている。ああ、そういえばオレ、最近の歌ってほとんど知らないなあ、などとさみしくなる。

自転車ではあまりやらないけれどぼくも、クルマを運転しているときにはよく歌う。とくに今年はマスクをしたまま運転する機会が多く、結果マスクをしたまま歌うことになる。するとまあ、30分も運転すれば、つまりは30分も歌っていれば、マスクがびしゃびしゃに濡れてしまう。それだけ唾液が飛んでいるということだ。クラスター対策の一丁目一番地として、カラオケボックスが挙げられていた理由がよくわかる。シャウトなんてひとつもやらない鼻歌ドライブでさえ、これだけ唾液が飛んでしまうのだ。

そしてこれが意外な発見だったのだけれど、日本語の歌を歌ったときよりも明らかに、英語の歌を——おぼろげな歌詞ながら——歌ったドライブのほうがマスクの濡れは激しい。英語は、それだけつばの飛ぶことばなのだ。日本語は、つばの飛びにくいことばなのだ。新型コロナに関して欧米での感染者が日本よりもずっと多いのは、「つばの飛びやすい言語」であることも大いに関係しているのではないかと邪推する。


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きょうはひさびさにカッキーと「編集会議」だった。ようやく全体の原稿が上がり、つまり話し合うべき素材が揃い、この本ではじめての「編集会議」といえる濃密な打ち合わせを、途中に休憩を挟みながら3時間以上続けた。明日もまた、話し合う。何年かぶりに編集者・柿内芳文の本気を垣間見ることができて、うれしく思っている。

主役を思い知らせてやろう。