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ストライクゾーンを見極めるときの罠。

以前、「バズる文章術」なる企画の提案を受けたことがある。

バズる文章術。プロのライターが教えるバズる文章の書きかた、というわけだ。企画書を受け取ったぼくは、自分がこれまでのソーシャルメディア人生において一度としてバズった経験を持たないこと、また、そのような趣旨の本を書くつもりはないこと、などを書き添えたうえで丁重にお断りした。

おそらく「最近、文章術の本が売れてるな」「バズる文章の書きかた、って方向性はアリかもしれないな」「著者は文章の専門家がいいよな」「そう言えば、古賀ナントカってやつがいたな」「嫌われる勇気の著者だし、肩書きとしては十分だろうな」くらいの感覚で企画書をしたため、ぼくのもとへと送ってきたのだろう。


バッティングのコツについて聞かれたプロ野球選手は、しばしば「ボール球に手を出さない」と語る。ボール球を打ったところでボテボテの内野ゴロになるか、フライを打ち上げてしまうかのどちらかだ。いや、そもそもバットに当たらない可能性だってある。ボール球に手を出さない。ストライクゾーンにきた球だけを打つ。この指針はまったく正しい。

そして企画を考えるときの編集者もまた、「ストライクゾーンの見極め」が重要になる。たとえばぼくが編集者だったとして、自分が大好きなリトル・フィートというバンドの解説書をつくる。これは売れるか売れないかというモノサシで測るなら完全なボール球だ。大ヒットとなる可能性は、かぎりなく低い。

その企画は、ちゃんとストライクゾーンにおさまっているのか。コースを外れたボール球になっていないか。市場のトレンド、著者のネームバリュー、近年においてはソーシャルメディアにおける著者の拡散力など、さまざまな観点からストライクゾーンの見極めがなされる。企画会議とはほとんど、ストライクゾーンの見極め作業だ。

しかし、そうして「ストライクゾーンにおさめること」ばかりを考えていると、いつしか発想がピッチャーになってしまう。ストライクゾーンから外れない球を投げること(企画すること)が、自分の仕事に感じられてしまう。

違うんだよ、とぼくは思う。

あなたは本来、バッターだったんだよ、とぼくは思う。ストライクゾーンを見極め、ボール球に手を出さないようにしていたのも、ヒットを打つためであり、ホームランを打つためだったんだよ。ストライクゾーンにおさまる球を投げて認められるのは、企画会議までだよ。マウンドに立つんじゃなくて、バッターボックスに立たなきゃ。そんなふうに、ぼくは思うのである。


ボール球を恐れるあまり、ストライクゾーンを守ろうとするあまり、いつしかピッチャー側の視点に立って物事にあたっている人、意外と多いんじゃないのかなあ。ぼくもいま、次の本の企画をいろいろ考えているところなんだけれど、自分の居場所がバッターボックスであることは忘れないようにしないとなあ、と思うのです。