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ひとを顔で判断するなって言うけどね。

そんなことを言っちゃいけない。思うだけならまだしも、ことばにしちゃいけない。ましてや、温度の伝わりにくい文章のかたちで表明しちゃったら、誤解しか招かない。

けれども、こんな言いかただったら、伝わるんじゃないだろうか。

平均寿命的にかんがえて折り返し地点を過ぎちゃったぼくの、これからに向けたおおきな目標。

それは「いい顔」になることだ。

最近とみに、そう思う。


美男子や美青年をめざそうというわけじゃない。仮にその「美」が実現したところで、とっくに男子でも青年でもない。美中年、というジャンルは存在しないだろう。そうではなく、まわりから「いい顔してるなあ、あいつ」と思われるような顔、思われるようなひとになりたいのだ。

だからお前は莫迦なのだ、河馬なのだ、と言われそうだけど、なんだかんだでぼくは、けっこうな割合でひとを「顔」で判断している。

いわゆるところの美醜ではなく、言語化や体系化のむずかしい「なんかいい」とか「なんかあやしい」とかで、ひとを判断している。会った瞬間に「いい」と思ったひとは、大体いい。顔立ちが美しくても「やだな」のひとは、いる。

きっとそれは表情筋によってつくられた「よさ」であり、つまりはそのひとがどんなふうに人生を生きてきたか、どんなふうに世界を見てきたか、によってつくられていくものなのだろう。


いい顔のひとでありたいなあ。ほんとは「いい声」のひとでもありたいんだけど、鼻炎持ちのぼくはそっちはあきらめちゃったんで。うん、とりあえずいい顔のひとでありたいし、そうなりたいです。