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休息は充電ではなく。

ひさしぶりに休んだ。

7月に「バトンズの学校」がはじまって以来、フィードバックの鬼と化し、一日も休むことなく受講生のみなさんの課題原稿と向き合ってきたのだけれども、しかもそのペースでやりながらフィードバックが遅れまくっているのだけれども先週末、ついにみずから休日をとった。ソファで犬と昼寝して、はじめてのレシピでごはんをつくり、買ったまま放置されていたブルーレイを観て、湯船でゆっくり入浴をした。

これらの休みはしばしば、充電にたとえられる。充電・蓄電の概念が日常的でなかった時代には、「英気を養うくらい」の言い方がなされていたのだろう。いずれにせよ「明日へのエネルギーを貯める」的な表現だ。

けれど、どれだけ休んだところで充電などできるはずがないし、する必要がない。

頭脳労働における休息とは「放電」だ。水にたとえるならそれは「樽の中身をからっぽにすること」だ。樽のなかに貯まった古い水を、ぜんぶ吐き出すこと。自分という人間をいったん、からっぽにすること。それがあってようやく、新鮮な水を迎え入れることができる。「充電」マインドをもって、頭を使うようなことをしてはいけないのである。


さて。この週末でわたしは十分な放電ができただろうか。樽の底に、古い水は残っていないだろうか。あたらしい水を取り込む準備は整ったのか。今週の自分に、乞うご期待である。