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「情報」よりも大切な「この感じ」。

先日noteさんでおこなった講座が公開された。

言うまでもないことだけれどもぼくは普段、ライターの仕事をしている。基本的には本づくりを専門とするライターでありつつ、雑誌やウェブのお仕事もときどきやる。誰かにインタビューして、それを原稿というかたちにまとめ、相手の方に文言をチェックしていただいたのち、それはコンテンツとして出版・公開される。

このとき、原稿のほうはほとんどノーチェックながら、一緒に掲載される写真(インタビューカット)にひどくこだわる方がいる。もっとカッコよく見える写真はないか、この写真はあまりにも老けて見えないか、こっちの角度から写した写真はないか、と目を凝らし、場合によっては注文をつける方々だ。

こんなふうに書くと、自意識過剰な人びとを笑っているように聞こえるかもしれないけれど、それは違う。むしろコンテンツの核心に触れる話題だ。インタビュー原稿とは、写真までを含めて「この人」を紹介するコンテンツなのだし、「この人」がどんなふうに語っているのか、またどんな表情で語っているのかは、「なにを語っているか」と同じくらい重要な要素であり、その印象はインタビューカットによって決まるところもおおきいのである。

語られた内容を、「情報」として過不足なくまとめることは、さほどむずかしい作業ではない。しかし語っているときの印象を、その「感じ」を、原稿のなかで再現することは意外なほどにむずかしい。

もしもぼくがこのビデオを「原稿」にまとめるとしたら、どんなふうにことばを組み上げていくのか。そんなことを考えながら、たどたどしく語られる自分のことばに耳を傾けていた。この「感じ」を出すのは、けっこうたいへんだろうなあ、と。