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もどかしいとは、どういう状態なのか。

中学時代に一度、右腕を骨折したことがある。

手首と肘のあいだ、すなわち前腕部。そこに通る尺骨しゃっこつ橈骨とうこつの両方をボキン、と折った。橈骨のほうは前腕から飛び出していた。そのグログロしいさまを見た保健の先生は、「おえええ」と口を押さえながら救護用テントから去っていった。いくらなんでも失礼すぎるだろう。折れた腕の痛みに絶叫しつつ、ぼくは思った。体育祭当日、組体操の人間タワー的な最終演目でのアクシデントである。人間タワーが見事に崩れ、いちばん上に乗っていた友だちが落下してきた。落下した先に、ぼくの右腕があった。

救急車が到着するまでのあいだ、痛がる以外にやることがなかった。なので仕方がない。一刻も早く救急車に乗れるよう、校門のところまで歩いていくことにした。そしてゆっくりと歩を進める途中、視界の端がだんだん黒ずんできた。「おおお、なんじゃこりゃあ」。急速に狭くなる視界が完全に光を失ったとき、ぼくは気を失った。人間は、痛みによって気絶してしまうものなのだ。映画の拷問シーンなどでは見たことがあったものの、まさか自分が経験するとは思わなかった。

それから一ヶ月も経ったころだろうか。病院に行って経過観察のためレントゲン撮影すると、骨がへんなふうにくっついていた。ゆるやかな「く」の字と言えばいいだろうか。折れた部分から曲がった状態でくっついていたのだ。「ああ、こらいかんね」。藪くさい医者は「く」の字のでっぱり部分、すなわち折れた橈骨の接合部分に両の親指を当てると、なにも言わないままぐぅーと押しはじめた。無麻酔で、力任せに押し込むことで、「く」の字を「1」の字に矯正しようというのである。

「ぎゃああああ」。絶叫したぼくは、ふたたび意識が飛びそうになった。血の気が引き、その場に崩れ落ちそうになった。「男がさわぐな」。治療なのか施術なのかを終えた医者が言った。そういう土地の、そういう時代だったのだ。おかげでいまも、ぼくの橈骨は少し曲がった状態でくっついている。


という話はともかく、当時は右手がギプスで固定されていたので、利き手で箸を持つことがかなわなかった。ごはんを食べるのはもちろん、中間テストの答案も、美術で絵を描くのも、書道もすべて左手だった。

体育祭でのアクシデントを受けた怪我でもあり、少しくらい優遇してくれるかと思ったら先生方、まったく容赦なかった。また、「おかげで左手が器用になりました」みたいなことを書けるといいのだけど、残念ながらぼくはそうならなかった。

右手だったら書けるのに、うまく書けない。ギプスがなければ楽勝なのに、それができない。たかだか数か月の短いギプス生活ではあるものの、そういう「できるはずのことができない」日々を、思春期どまんなかのうちに経験できたのはよかったのかもしれない。普通なら「できること」が増えていく一方の時期だからね、思春期って。

「できない」は苦しい。けれど、なんらかの事情によって「できるはずのことができない」になってしまうと、心底もどかしく、ひたすら悔しい。

「もどかしい」とは、「できるはずのことができない悔しさ」なのだ。

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ほんとは「ぼくは手首が細い」というどーでもいい話を書こうとしてたんだけど、書いてるうちにこんな話になりました。