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わたしの定規を折らないために。

たとえばここに、定規があったとします。

短すぎてはいけません。まあ30センチくらいの、木や竹ではない、弾力のあるプラスチック製の定規です。それで左手で定規の下のところを持って、右手で定規の上のところをぐーっと押していく。圧力ストレスをかけていく。まっすぐだった定規はぐにゃ〜っと曲がりますよね? 

この定規はあなたの心です。そして負荷によって曲がった姿が「ストレスを感じている状態」。また、圧力ストレスをかけている対象(この場合は右手)のことを、ストレッサーと言います。

ストレッサーからの圧力をあまりに長く受け続けると、定規はポキンと折れてしまいます。どんなに弱い力であっても、定規の内部には細かな亀裂が入り、消耗していきます。

一方、自分を苦しめるストレッサーを一刀両断すると、定規には強力な反動が働きます。急激に元に戻ろうとする定規は、勢い余ってだれかを、ときには自分を傷つけてしまいます。

圧力ストレスを我慢しすぎるのはよくありません。かといってひと息にそれを断つのも危険です。まずはストレッサーの正体を見極め、ゆっくりと、少しずつ、棘を抜くように遠ざけていきましょう。


もう15年以上も前の取材で、スポーツ心理学を学んだ元オリンピアンの方から教えてもらった話だ。とても、とても納得のいくたとえだった。

以来、「なんか調子がよくないなあ」と感じるとぼくは、いつも定規を思い浮かべる。ぐーっと曲がったプラスチックの定規を思い浮かべる。定規を押してるストレッサーは、だいたい複数だ。特定のだれかさんが押していることも、目の前の仕事が押していることも、なぜか自分が押していることも、いろいろある。何年にもわたるストレッサー、急にやってきたストレッサー、ひさしぶりに舞い戻ってきたストレッサー、ほんとにいろいろだ。

定規そのものを強くすることは、たぶんできない。むしろそれは弾力を失わせ、折れやすい定規をつくりかねない。ひとつひとつのストレッサーをしっかり見定めて、ひとつひとつ根気強く外していくこと。いま以上の我慢を自分に強いず、かといって一気に解決しようともしないこと。

自分の定規を折らないために。
そして不意の反動でだれかを傷つけないために。