見出し画像

かわいいは循環する。

ぎゃー、きゃー、ぎゃー。

犬と公園を散歩していたら、突然に呼び止められた。高校生には見えず、おそらくは大学生。ジャージ姿の、運動部の女の子だった。

「ぎゃー、かわいい! え? え? もしかしてレモンビーグルですか? きゃー、うちの実家でも飼っているんです! えーっ、めちゃくちゃめずらしくないですか? あーん、かわいい。え? え? もしかしてブリーダーさんとかですか? ぎゃー。だって、だって、うちのこ、10年くらい待ってようやくレモンビーグルに会えたんですよ。いやーん、かわいい!」

ものすごいテンションで犬をほめちぎり、しゃがみ込んだ両手でわしゃわしゃと撫でてくれた。犬自身、「なんだなんだ?」と後ずさりするほどのテンションだった。

犬と散歩をしていると、通りすがりの人から「あら、かわいい」と言われることがある。ぼくだってよその犬が散歩している姿を見ると、犬種や年齢に関係なく「あら、かわいい」と思う。のみならず、小首を傾げるように犬を見て「かわいいねー」とか「お散歩うれしいねー」とか、中年男性にあるまじき声で語りかけることも多い。

犬のかわいさに、我を忘れているのではない。自分が犬をつれて散歩しているとき、そう言われるとうれしいからだ。「かわいい」と言われたこと自体のうれしさも当然あるんだけれど、仲間というか、味方というか、ここに犬がいることを肯定してもらっているような安堵があるからだ。

自分が犬好きだからといって、世のなかのみんなが犬に好感をもっていると思うのは大間違いである。犬が苦手な人も当然いる。怖いと思っていたり、吠え声をうるさく感じていたり、道端にわが子の糞尿を放置してゆく最低な飼い主に迷惑している人は大勢いる。とくにうちの犬の場合、自分より身体のおおきい犬に遭遇すると大興奮してわんわん吠えまくる癖があり、その声は耳をつんざくほどおおきい。「すみません、すみません」とぺこぺこしながらその場を去り、相手の方、相手の犬、まわりを歩いている人、および近隣住民のみなさま方に申し訳なく思う。

なのでほんと、散歩中にやさしい目を向けてくれたり、やさしく声をかけてくれたりするだけで「よかったねえ」と目尻が下がる。自分がよろこぶのではなく犬に、「よかったねえ」と語りかけたくなるのだ。


なのでみなさん。てこてこと散歩している犬を見かけたとき、どうぞ照れることなく「かわいいねー」と声に出してあげてください。そのたったひと言だけで、飼い主はその一日をずっとうれしく過ごせるものだし、犬にもやさしくなっていくものなんです。かわいいは循環し、愛は循環するんです。