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あなたとわたしの尻熱パラドックス。

尻熱パラドックス、ということばをご存知だろうか。

知るはずもなかろう、たったいまぼくが思いついた造語なのだから。しかしこれ、この雑文を読む方々の多くが、この数日のうちに一度は経験しているはずの不思議であり、パラドックスなのである。

たとえば電車で、タクシーで、パブリックなスペースのソファで。先ほどまで誰かが座っていたところに腰を下ろす。するとなんとも気色の悪い尻の熱が、その体温と湿気めいたものが、尻を通じて伝わってくる。当たり前じゃないか、先ほどまで誰かが座っていたのだ。なんのことはない熱伝導だ、お前はフーリエの法則も知らんのか。短絡的に、そうお怒りになる方々もいるかもしれないが、不思議はそこではない。これ、トイレに行くなどしてしばし席を離れた自分の椅子については、まったく尻熱を感じないのだ。感じたとしても、気色悪くないのだ。きっと温度としては自分の椅子も他人の椅子も同じはずなのに。

転じてぼくは、こう思う。

他人の書いた文章の「アラ」を探すのは、誰にでもできる。他人の書いた文章の「気色悪さ」は、否が応でも気になってしまう。ところが、自分の書いた文章についてその尻熱を察知するのはきわめてむずかしい。

じゃあ、どうすればいいのか。

いちばんいいのは、文章指南の本でよく指摘される「ひと晩置け」だろう。時間をあけて、おのれの尻熱を冷まし、ふたたび椅子に座ったときに「気色悪っ!」と察知できるまっさらな尻をつくる。

その時間がないときには、これまた定番の文章指南「音読」だろう。声に出して読むことによって、情報(文章)の入口を目から耳へと変化させることによって、いわば「あたらしい尻」でその椅子に座りなおす。

あるいは、これはぼくも一度としてやったことがないのだけど、「プリントアウトした原稿を、誰かに音読してもらう」というのは、かなり効果がありそうな気がする。というかそれ、効果抜群に決まっている。


いま向き合っている本のなかに「尻熱」のたとえを入れるのはどうだろうと思い、そもそもおれは尻熱パラドックスのことをうまく語れるのだろうか、と心配になり、一度こうしてさらっと練習してみたのでした。

みなさん、あなたが座っているその椅子は、別の誰かが座ったら、けっこう気色悪いことが多いんですよ。