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疲れたときの「気休め」に。

リフレクソロジーこと、足裏マッサージが好きだ。

たとえば肩や腰を揉むマッサージの場合、かなりの高確率で「揉み返し」がくる。とくにぼくの場合、身体の疲れが限界に達した段階で「いますぐどうにかしたい!」とマッサージ店を訪ねることがほとんどなので、人気店やその店長さんの予約をとることはむずかしく、テキトーなお店の、指名ではない誰かさんにマッサージを受ける機会が多い。結果、相性もなにもあったものではなく、翌日に猛烈な揉み返しがやってくる。

一方、足裏マッサージに揉み返しは、基本的にない。足にたまった疲れは緩和され、施術中うとうと眠ってしまうこともしばしばで、肩腰のマッサージほどには揉み手を選ばない。肩が凝っているときには「肩のツボ」を押されて激痛が走り、胃の調子が悪いときには「胃のツボ」に、頭脳労働が過ぎるときには「頭のツボ」に悶絶する。まったく人体の不思議である。

しかし、人体の不思議であるがゆえに足裏マッサージは、その効果の判定がむずかしい。たとえば「肩のツボ」を押されて「ひいいぃ」と声を漏らし、「肩がお疲れですねー」なんて言われる。なるほどそれはいいのだけれど、そうやって「肩のツボ」をぐいぐい押した結果、肩凝りは軽減されるのだろうか。あるいはただ、「ここが疲れている」を教えてくれるだけの施術なのだろうか。足裏マッサージの快感に目覚めてから20年ほどが経つものの、いまだにこの謎は解けないままである。


この前の週末にも近くのマッサージ店に出かけ、肩腰と足裏をそれぞれ揉んでもらった。そして帰宅後、なんとなくの思いつきで足の裏にサロンパスを貼った。むかしテレビコマーシャルで紹介され、以前に何度か試していたサロンパスの活用法だ。

で、これがてきめんの効果だった。週末のぼくはだいたい2時間くらい犬と散歩に出るのだけど、そして毎回帰り道には足裏にたしかな疲れを感じるのだけど、それがまったくなかった。気のせいか眠りも深く、目覚めも快調である。どういう理屈か知らないが、まったく人体は不思議の国だ。


理知的な人に言わせれば、こんなの気休めなのだろう。足裏にサロンパスを貼ったところで、ひんやりするだけなのだろう。しかし、疲れた人にとっては「気休め」こそが大事なのだ。まさに「気」を、休めたいのだ。

もしも今後、対面したぼくからサロンパス臭が漂っていた場合、間違ってもインドメタシンだのフェルビナクだのの高機能湿布剤は、おすすめしないでいただきたい。サロンパスを貼っているときのぼくは、患部の痛みではなく「気」を、休めているのである。