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その名称のありがたさ。

隠すほどの話でもないので言うと、最近ハズキルーペを使っている。

紙の本を、とくに初版の古い本を読んでいると、さすがにもう裸眼ではきつくなってきた。いまのところまだ、遠近両用メガネをかけたり、読書専用の老眼鏡をつくったりする予定はない。尻で踏んでも大丈夫、のハズキルーペとともに本を読んでいきたいと思う。

ハズキルーペのいいところは、どこにも「老眼」の字や音が入っていないところだ。なんといっても「ルーペ」なのだから、字義的にはメガネですらない。それは老眼という生理現象に抗いたいぼく世代の人間にとって、非常にありがたいハードルの下げ方であり、しかもハズキルーペはほとんど一般名詞として流通しているため、「プラスチック製の拡大鏡」みたいな回りくどい言い方をしなくてもいい。

この「商品名が一般名詞になったもの」としては、しばしば「サランラップ」や「セロテープ」、「ボンド」や「バンドエイド」などが挙げられる。海外だと「クリネックス」は有名だし、日本式の醤油はおしなべて「キッコーマン」とされているように聞く。

じゃあ、ハズキルーペがこれら先人たちに匹敵するほどのポピュラリティを獲得しているかというと、それはまた違うだろう。ハズキルーペの類似品が多数出回り、それが市場を席巻し、「もう面倒くさいから『こういうの』は全部ハズキルーペと呼んでしまおう」みたいな流れになっているわけでは、決してない。ハズキルーペは老眼鏡の代名詞になったわけではなく、ただただハズキルーペであるだけだ。

うーん。そう考えるとハズキルーペのハズキルーペたるゆえんは、「情報量の多さ」にあるのかもしれない。

たとえば、ぼくが誰かに「最近、老眼鏡使ってるんだよね」と告白したとする。この場合相手の関心は「この人の老い」のほぼ一点に集中する。メガネの形状や使い心地を気にする人はたぶん、ほとんどいない。一方でぼくが「最近、ハズキルーペ使ってるんだよね」と言ったとき。そこに含まれる情報は意外なほど多く、ある人は以前に流行ったテレビコマーシャルを思い出すだろうし、出演していたタレントさん、またそこで語られたセリフなどを思い出すだろう。あるいはそのスポーツサングラス的な形状に意識を振り向ける人もいれば、「ハズキルーペという言葉の響きがもうおかしい」と笑いはじめる人もいるだろう。いずれにせよ「老い」以外の部分にもピントが当たり、少なくとも告白する側としては気持ちが楽になる。


まあ、そんなことはともかく。「やっぱり紙の本が好き」的な価値観もわからなくはないんだけど、「フォントサイズを変更できる」という一点においてぼくは、電子書籍のありがたさを忘れたくないんだよなあ。

マンガじゃない本を iPadで読むのはつらい。Kindle Oasis の新商品、早く出てほしいところだ。