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なぜあの人たちはテレビカメラの前で自然に振る舞えるのか。

NHKの『ドキュメント72時間』が好きだ。

念のため紹介しておくと公式サイトでは、こんなふうに説明されている番組だ。

ファミレス、空港、居酒屋…。毎回、ひとつの現場にカメラを据え、そこで起きる様々な人間模様を72時間にわたって定点観測するドキュメンタリー番組。偶然出会った人たちの話に耳を傾け、“今”という時代を切り取ります。

ドキュメント72時間

まず、コンセプトがいい。定点観測する場所もいい。カメラを置くだけの定点観測ではなく、スタッフがていねいに声をかけ、人びとの話を拾っていくスタイルもとてもいい。30分間という放送時間も、ちょうどいい。どんな回を見ても、見なきゃよかった、と思ったことがない稀有な番組だ。

そしていつも感心するのが、登場する人たち(市井の人たち)の自然さだ。カメラを向けられて、音声さんや照明さんもいるスタッフに囲まれて、いかにも自然に、みなさん自分を語る。「インタビューに答えてる感じ」がほとんどなく、「ふつうに話してる感じ」がするのだ。

ありがたいことにぼくも、これまで何度かテレビカメラを向けられたことがある。自然に振る舞うことなどまったくできず、いつも表情がこわばり、声がうわずり、頭のなかで書いた原稿を読み上げるようにしかしゃべれない。写真やラジオの何倍も、緊張するのだ。

なのにみんな、どうしてあんなに自然な振る舞いができているのだろう。番組を見るたびに考える。

世代のせいかな、と思ったこともあった。生まれたときから動画で撮影されることが当たり前の世代で、普段から TikTok とかに慣れてる人たちなら、カメラに対する構えも違うだろう。

しかし『ドキュメント72時間』に登場する人たちは中高年層も多く、世代論で片づけるわけにもいかない。たぶん、登場する人たちの9割以上は「はじめてテレビに出る人」だと思われる。


場所のせいかな、とも考える。番組が定点観測するのは、地方のドライブインであったり、うどん自動販売機の前であったり、深夜まで営業する飲み屋だったりすることが多い。テレビに出演するため局(スタジオ)に向かうのではなく、自分のホームグラウンドにカメラがやってくるのだ。場所がもたらす安心感はおおきいだろう。

でも、たとえば自分の勤務先近くで街頭インタビューをやっていたとして、そこでウィッキーさん的な人につかまったとして、ぼくは緊張しないだろうか。逃げてしまわないだろうか。

緊張するし、逃げるだろうなあ、と思う。


と考えていて思いついたのが、「おもてなし」である。

自分の住む町に、こんな田舎に、東京からお客さん(テレビカメラ)がやってきた。ここは一発、精いっぱいのおもてなしをしよう。この町のいいところ、このお店のいいところを、いくらでも紹介しよう。

そういうホスピタリティモードにスイッチが入った結果、緊張が吹き飛んでいるのではなかろうか。実際にぼくも、海外の街でだれかに話しかけるよりも、日本の駅で困っている外国人に話しかけるほうがずっと心の負担が少ない。それはホームグラウンドがもたらす安心感というより、ホスピタリティモードのスイッチが入るから、って気がする。

よく「インタビューするうえでは敬意が大切だ」というライター心得を聞くけれど、ぼくも言ってるけれど、敬意ってことばがわかりにくければ「おもてなしの心」と置き換えてもいいんじゃないかな。いいインタビューのはじまりって、案外「おもてなし」の交換にある気がします。