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知らない本を読む楽しさ。

気分転換の方法、なのだろうか。

いま、起きている時間のほとんどは、目の前にある本の原稿のことを考えている。あんなふうにしよう、こんなふうにできるんじゃないか、こっちの可能性を探ることはできないかと、本の全体像が変わるくらいの大胆さで、考えている。ごはんのときも、通勤途中も、お風呂のなかでも、トイレで用を足すときでさえも、考えている。集中しているとも言えるし、視野の狭まった、危険な兆候と見ることもできる。

そんななかで、ほとんど唯一原稿のことを忘れられるのは「次のこと」を考える時間だ。

おれはこの本を書き終えたら、次になにをやるんだろう。どんな本をつくりたいと考え、どんなことを調べ、誰に会いに行くんだろう。あるいは本をつくること以外で、なにをやりたくなるんだろう。

ぼーっと考えているだけでは、なにも浮かばない。気持ちはすぐさま「いまの原稿」に引き戻されてしまう。自分にまったく関係のない分野の入門書を読んだり、そこから専門書に手を伸ばしたりしている。知らない世界の知らない話を読んでいると、たとえ直接むすびつかなくとも「次のこと」を考えやすくなる。いや、考えざるをえなくなる。


最近読んでおもしろかったのは、アメリカ建国史まわりの本だ。


たとえばこれを近代日本の建国史、つまり明治政府に置き換えて、憲法学者、宗教学者、文学者、経済学者、軍事専門家、国際政治学者、人口学者などの人たちに、それぞれの視点から「近代日本の建国史」を語ってもらい、それをリンクさせながらひとつの物語として積み上げていったらおもしろいんじゃないか、とかね。いや、大変そうだし、あと3つか4つは発明が必要になる企画なんで、このままやることはぜったいにありませんけど。

とりあえず自分に関係のない本をたくさん読んでいると、いつしか「関係のあること」につながっていくというか、次にやることが見えてくるたのしさがあるんです。読書そのものがたのしいというより、本を読むなかで浮かび上がってくる「次にやること」の妄想がたのしいんです。

あ、そういえばきのうクリストファー・ノーランの『TENET』を観たんだけど(もちろん感想は言いません)、さすがにあれは「おれが次にやること」にはつながらない映画だったなあ。