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きっと大丈夫、きっとうまくいく。

応援、というのとは少し違う気がする。

毎年のように、あるいは毎月のように。会社員だった知り合いのだれかが独立し、フリーランスの道を歩きはじめる。相手がどんな人であっても、ぼくは心配しない。ものすごく仕事ができるというわけでもない人、あるいは端的に仕事ができない人であっても、心配しない。まずは「よかったじゃん」と思い、なにかことばを求められれば「きっと大丈夫だよ」と言う。

やさしいようで一方、「きっとうまくいくよ」と声をかけることは少ない。うまくいくかどうかはわからないけれど、まあ「大丈夫」だ。心配するほど悪いことにはならないだろうし、なったとしても自分でいくらでも挽回できる。大もうけはしなかったとしても、「大丈夫」のラインは保てる。それがぼくのフリーランス観だ。

これは自分に長いフリーランスの経験があり、しかも相当な悪条件(実績も業界の知り合いもほぼ皆無)でフリーランス生活をスタートし、それでもなんとかなってきたこと、会社員時代よりずっとたのしかったことに起因している。あのときのおれが大丈夫だったんだから、いまのあなたならぜんぜん大丈夫だよ、というわけである。

もしもここでぼくが「きっとうまくいくよ」と声をかける人間であれば、それが実際にうまくいくよう、応援にまわることになるのだろう。つまり、味方となって加勢をし、仕事を融通するなど「うまくいく」ための支援や援助を惜しまない人間になるのだろう。それをするつもりは、あまりない。そこでの応援は容易に「しがらみ」になりうるものだし、そんなしがらみから解放されて「大丈夫」の地平を歩くことがフリーランスのおもしろさであり、融通した仕事とは違ったかたちの仕事で再会したいのだ、ぼくは。


これに対してだれかが起業した、しかもひとり株式会社みたいなやつではなく、人を雇いはじめた、という話を聞いたとき、「きっと大丈夫だよ」と言える自分はまだいない。「よかったじゃん」とか「がんばれよ」とかは当然思う。「やめとけ」とは思わないし、言わない。けれど、「きっと大丈夫」とは到底言えない。

それはやっぱりまだ、自分に「大丈夫」の実感がないからだろう。個人としていえばフリーランス時代に劣らないどころか、当時以上にいい仕事ができているような実感はあるのだけど、会社という単位で考えるとまだ、なんにもわからないのが正直なところだ。まあ、フリーランスと違って会社は、だれも「きっと大丈夫だよ」が言えないものなのかもしれないな。


本日はバトンズの設立記念日。

無事に9周年を迎えることができ、これから10年目がはじまる。


10年前に考えていた自分たちの未来は、どんな感じだっただろう?

その当時に思い描いていた姿といまの現実に違いがあるのはまったく悪いことじゃないんだけど、ときどき考えてみたいよね。10年前、5年前、自分はどんな未来を考えたり、考えなかったりしてたんだろうって。