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おれはわたしのことなんてどうでもいい。

プログレッシブ・ロックとは、いまも生きていることばなのだろうか。

具体名を挙げるならばキング・クリムゾンとか、ピンク・フロイドとか、イエスとか、エマーソン・レイク&パーマーとか、まあそういう人たちであり、通称「プログレ」と呼ばれるジャンルである。そして10代のころのぼくは、このプログレが大嫌いだった。

バンドや楽曲そのものが嫌いだったのではなく、プログレファンによる「プログレを聴かずして音楽を語ることなかれ」的な言説が大嫌いだった。自分はそういう人間になりたくないなあ、と思っていた。


同じ理由でぼくは「本を読むべし」のことばも、口にしたくない。

言ってる当人がどう思っていようと「本を読むべし」の背後に他者は、「本も読まないお前は、猿にも劣る犬畜生である」的な蔑みを感じとってしまう。そんな肘掛け椅子なんて、こっちから願い下げだよ。としか思わない。

また、ぼく個人の話をするなら、ぼくは本と同じくらいたくさんのものを洋楽から学んだ。映画から学んだ。テレビから学んだ。サッカーからも学んだし、プロレスと格闘技からも学んだ。

つまり、ぼくが「本を読まざるものは人にあらず」を表明するのなら、「洋楽を聴かざるものは人にあらず」も表明しなきゃだし、「映画を観ざるものは人にあらず」も必要だし、当然「サッカーを観ざるものは人にあらず」でもあるわけで、なんだかけっきょく「俺にあらざるものは人にあらず」になっちゃって、わけがわかんなくなる。

そう、みんな「おれ」や「わたし」が大好きなんだよね。

あるいは、みんな「おれ」や「わたし」におおきな不安を持っている。

これ、おれやわたしに「関心」がありまくり、という意味では完全にイコールなんです。


ぼくはまあ、自分にもそれなりに関心はあるんだけど、それより「あの人」や「この人」に関心がある気がするし、だからこそ作家ではなくライターなんだろうなあ、と思うわけです。

桃栗三年、カキうまいねん。
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ライター。バトンズ代表。著書・共著「嫌われる勇気」「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」「20歳の自分に受けさせたい文章講義」など。週日更新しています。http://www.batons.jp
コメント (1)
この視点はなかったです。発見! でした。ありがとうございますm(__)m〉そう、みんな「おれ」や「わたし」が大好きなんだよね。あるいは、みんな「おれ」や「わたし」におおきな不安を持っている。
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