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どうでもいいお昼ごはんの話。

お昼どきになると、会社前の月極駐車場にワゴン車がやってくる。

お弁当を販売する、ワゴン車だ。ぼくはそこで提供されるお弁当(日替わりの丼もの)が、かなり気に入っている。週5日のうち、少なく見積もっても3日以上はそれを食べている。腹持ちもいいし、味もいい。なんといっても安い。この都会のど真ん中にありながら600円、ほぼワンコインだ。賃料が駐車場代だけ、という移動販売ならではの価格設定なのだろう。こんなふうに書きはじめたということはもちろん、本日もそこのお弁当を食べた。

本日のメニューは、
① 鶏肉とブロッコリーのマスタード炒め
② ゴーヤと厚揚げの煮込み
③ 豚肉と焼きとうもろこしの醤油炒め
の3色丼である。

そろそろ梅雨明けの声も聞こえてきそうなこの季節、ゴーヤの苦みがたまらない。いいなあ、ここはうまいなあ、と阿呆のような感想をもらしながら、ふと考えた。


おれはいつからゴーヤが好きになったんだろう、と。


例外は多いものの一般に、子どもは「苦いもの」と「すっぱいもの」を忌避する傾向がある。そして人間は「苦いもの」に毒を感じ、「すっぱいもの」には腐敗を察知するため、本能的にそれらを避けて通るのだ、と説明されることがある。実際ぼくも子どものころ、ピーマンをおいしいとは思えなかったし、酢の物なんて大嫌いだった。

けれどもいま、サブウェイに行けば「ピーマン多めで」と注文しているし、排骨担々麺にはこれでもかとばかりに酢を振りかける。ゴーヤチャンプルーにしても、炒めすぎて苦みが飛んでしまったものよりも、ほどほどに青みが残り、がっつり苦いゴーヤのほうがうれしい。

おれも大人になったんだなあ、とは思う。

思うものの、「酸いも甘いも噛み分ける」の慣用句にならうなら、「酸っぱさ」と「甘さ」の両方をよくよく知り抜いてこそ、ほんとうの大人なのだ。酸味や苦味を味わい尽くしたところで、まだまだ経験豊富な大人とは言えないのだ。


書きながら気がついた。

今後は弁当に、食後のデザートをつけたほうがいいのかもしれない、と。