そうであってほしいと願っている。
ようやく最終章に突入した。
Netflix で観てる『愛の不時着』の話ではない。去年の春からずっと取り組んできた原稿が、いよいよ最後の章に突入したのだ。書きながら「これ、ほんとに終わるんだろうか」と何度も途方に暮れた。まだぜんぜんその実感はないものの、最終章にきたということは、さすがに終わりが近づいているのだろう。もっとも、書き終えたらそこから推敲地獄が待っている。いまの段階でさえ、すでに「あの章のあそこに、こういう話を追加しなきゃな」「あそこに入れた話は、まるまる蛇足だったかもしれないな」などの目算がついている。推敲に入るころにはおそらく、きょうの日を「ほほえましい感慨」として振り返っているのだろう。「お前、まさかそこで終わりに近づいたとか思っちゃってるの?」「そこってまだ、折り返し地点を過ぎたくらいの場所だよ?」とかなんとか。
犬が笑っているように見える。
けれども実際は、目にゴミが入ったり、ただまばたきした瞬間の写真でしかなかったりする。
笑っているように見えるのは、「そんな気がする」だけだし、もっと言えば「そうであってほしい」という願望のあらわれでしかない。
最終章に入ったこの原稿もまた、うまくいっているような気がする。
そうであってほしいと、願っている。