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ことばではないことばを。

しばしば犬は、身体を掻く。

おすわりの態勢で、うしろの脚を器用に使って、首のまわりを掻き、顔を掻く。ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ。その音からぼくはそれを、「ちゃっちゃ」と呼んでいる。「ちゃっちゃ」をするとあたり一面にちいさな毛が飛び散り、コロコロが欠かせない。コロコロとは小学館の刊行する小学生向けコミック雑誌ではなく、ローラー式粘着テープのことである。犬を迎え入れて6年。わが家におけるコロコロの使用量は何十倍というレベルに達している。

犬の「ちゃっちゃ」を見ると人は、かゆいんだろうな、と思う。場合によってはノミやダニ、食物アレルギーなどを疑う。しかしながら専門家や専門書によるとこれは、かゆいばかりではないらしい。「カーミングシグナル」といって、不安や緊張をほぐす役割を持っているのだそうだ(ちなみに犬のあくびも、眠気によるものというよりはカーミングシグナルである場合が多いのだという)。

言われてみるとたしかに人間にも、それに類する行動はある。貧乏ゆすりはそうだし、授業中にくるくるペンをまわす人(おれ)もそうだ。あるいはむかしから「頭を掻きながら話す人」や「鼻を触りながら話す人」は、そのとき嘘をついている可能性が高い、なんてこともよく言われる。無意識のうちに頭を掻きながら話す人間のように、犬も無意識のまま「ちゃっちゃ」しているのだろう。毛が飛び散るからと、それを咎めるのはかわいそうなことである。

ときおりカリスマ的なドッグトレーナーさんについて、「犬のことばがわかる」みたいな言い方がなされることがある。ただ、その場合の「ことば」とは音声のことではなく、カーミングシグナルに代表されるしぐさや態度、目つき、表情などだったりする。どうしても言語優先で「わかり合うこと」を考えがちな人間関係にも、非言語的なわかり合いを設けていかなきゃなあ、と思う。一緒にいて、相手をわかろうとする気持ちがあればそれは、きっと可能なことなのだ。