それはあなたが人間だから。
もちろん例外があることは知ったうえで。
犬は雨が嫌いだ。雨が降ったら散歩に行かない家は多いし、行くとしてもレインコートを着せられたり、ずぶ濡れになったりして、おそらく通常よりも散歩する時間も短い。雨降りの日に「あーあ」みたいな顔でこちらを見る犬の写真は、ソーシャルメディア上でしばしば見かける。
そうであればきっと、野生の動物たちも雨が嫌いだろう。たとえばサバンナに生きるライオンやシマウマも、雨の日にはさほど活動をせず、木陰なんかで雨宿りをしているのだろう。その顔はやはり、「あーあ」と落胆しているのだろう。雨が降ってテンション爆上がりする動物は、いたとしても河童やカエルくらいのものだろう。そして河童はいないだろう。
そこから類推するに、狩猟採集生活を送っていた時代の人類もまた、雨を嫌っていたのではないかと思われる。洞窟に身を隠し、雨でべちゃべちゃした入口で足を汚しながら、「あーあ」と恨めしげに外を眺めていたのではないかと。そりゃあ、ひさしぶりの雨で身体を洗ったり、その水を土器に貯めたりはあったのかもしれないけれど、基本「あーあ」である。お日さまは出ないのだし、外に出ることもできないのだし。
結局のところ「恵みの雨」なる概念は、農耕生活がはじまって以降の発想であるはずで、本能では「いやだなあ」と思う雨空に、理性の力で「いやいやこの雨のおかげでわたしたちは生きていけるんだよ」と言い聞かせているに過ぎない。
そこで、この絵である。
大胆な構図と雨脚の描写、遠くに煙る木々の遠近感、そしてゴッホが模写したという「ありがたみ」。いろんな角度で語られるこの作品だか、仮にこれがただの風景画だったら、ここまでのおもしろみは出なかっただろう。この土砂降りのなか、おのおのに難儀しながらどこかへ向かう(ちいさな)人間たちが描かれていることが、この絵をスタイリッシュにとどまらない作品に昇華させている。まったくの素人ながら、ぼくはそのように思うのである。
こんな土砂降りの日に、わざわざお出かけする動物はいない。いるとすればそれは、河童でも唐傘小僧でもなく、人間なのだ。
大雨に降られたみなさん、おつかれさまでした。みなさんが雨に降られたのはたぶん、みなさんが人間だからなのだと思います。