『しにたい気持ちが消えるまで』。
あのひとが、そこまで強く言うのなら。
とりあえず Kindle版を買ってみることにした。午前2時過ぎのことだ。なんとなく、いまの自分が読まなきゃならない本のような気がした。ワクチンの副反応で、まだ少し気怠い。ひとまず読みはじめる。
止まらなかった。朝の7時近くまで一気に読みふけってしまった。これほど深く自分自身と対話するのに著者は、どんなに濃密な時間を過ごしたのだろう。読んでほしい人の顔が、何人も浮かぶ。読んで語り合いたい人の顔が、何人も浮かぶ。すばらしいノンフィクションやエッセイを読んだとき特有の現象だ。ひとりで受け止めきることがもったいなく、また苦しいのである。
著者の豆塚エリさんがどんな人で、これがどんな内容の本なのかをぼくの口から語るのは少しためらわれる。いかにも陳腐なことばになりそうで、「ああ、そういう系の本なのね」なんて片づけられそうで、それはあまりにもったいない。いちおう、Amazonに掲載された内容紹介を転記しておこう。
文章を、そしてエッセイの精度を決めるポイントは、「目」だなあと思う。そのときその人がなにを見たのか。なにを感じたのか。なにを思い、なにを考えたのか。起点にあるのはいつも「目」だ。豆塚さんの精緻な目があったからこそ、読者は同じ景色を見ることができる。彼女と同じ思いに至ることがかなわなかったとしても、自分なりに「それ」を感じ、考えることができる。きのうの午前2時まで存じ上げなかった豆塚さんが、もはや10年来の友だちであるかのように感じられる。上下と左右、引きと寄り。めまぐるしく移動する目にすばらしい作家との出会いを祝福したくなる。
手元に残そうと、紙版のほうも注文した。いま読めてよかった。またきっと読み返すだろう。投稿してくれたヤンデル先生、どうもありがとうございました。