「思う」について思うこと。
これ、よそで言ったら大変なことになっちゃうね。
気のおけない友人たちとおしゃべりしていると、そういう話題に踏み込むことがある。SNSに書いたら間違いなく炎上しそうなこと。炎上するほど有名人じゃなかったとしても、たくさんの誤解を招き、軽蔑を招きそうなこと。そういう話題はなるべく避けて、ぼくらはSNS社会を生きている。
なんとなくこれ、「いいこ」を演じて、「いいこと」だけを言って、やればやるほど自分とかけ離れていくような、別人格を演じているような違和感があった。もっとのびのびと、思ったことを思ったままに言わせてほしいし、こんなのちっとも「おれ」じゃないよ、と。
でも、違うのだ。
自分という人間は、「言わない」までも含めて自分なのだ。「○○についてこう思っているけれど、誤解を招きそうなので言わない」は、本音を隠しているのではないし、自分に嘘をついているのでもない。
誰かに口を封じられるようにして「言えない」のではなく、能動的に、自分の意思で「言わない」を選んでいるのだ。だって、「言う」を選ぶ人だっているんだもの。そしてぼくは、それを選ばないんだもの。
お前はどう思っているんだ、思ってることを言え、と脅す人は多い。
自己主張の大切さを訴えているつもりなのかもしれないけれど、そんなのやだよ、とぼくは思う。ぼくの「思う」は、ぼくひとりのものだ。わざわざ「言う」に変換する必要はないし、ましてやあなたに教える必要などない。
ぼくはただ、「言いたくなる」仲間がほしいのだ。その仲間と出会ったときのために、たくさん思っているのだ。