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書きたいことは、いらない。

またこの話題を書くか。

書くということについて、書いてみたい。それもただ書くのではなく、毎日なにかを書く、ということについて。ぼくはもう7年、この note を書いている。土日祝日はお休みするものの、それ以外の平日は毎日書いている。その数はもう、1650本を超えている。

「よくそんなに書くことがありますね」

言われることが、たまにある。残念ながら毎日ぶんの「書くこと=ネタ」なんて、あるはずがない。けれどもあるとき気がついた。「書くことなんて、なにもない」からこそ、ぼくは毎日書けているのだ。

週に1回、あるいは10日に1回くらいだろうか。ぼくにも「書きたいこと」の浮かぶタイミングが訪れる。あれについて書いてみたい。あのことを存分に語りたい。このテーマについてひと言、言っておきたい。そういうなにかが、たまに浮かぶ。

ところが不思議なことに、そうやって書いた「書きたいこと」は、意外なほどおもしろくならないのだ。書きながらおもしろいと思うことも少なく、読んでくださった方々からのリアクションも、また少ない。「おれのご意見」が前に出すぎたり、「ウケたい下心」が透けて見えたりしすぎるのだろう。

一方、「書きたいこと」がなにもないときに、ほとんど苦しまぎれのように書いたものが妙におもしろかったりする。惰性の一歩手前で書かれた、無私の文章が。書きながら「おお、こう展開するのか」と驚いたり、「へえー、ここに着地したか」と感心したりする。つまり、特別な「書きたいこと」がないときにこそ、「思ってもみないこと」が出てきたりするのだ。

しかしながらそういう偶然に出合えるのは、毎日書いていてもせいぜい年に数回だったりする。しかも「書きたいときに書く」では、ぜったいにそれとは出合えない。やめたいやめたいと言いながらも、毎日書いていった先にようやく「思ってもみないこと」に出合える。

去年から今年にかけて、真剣にここの更新をやめようと思ったことが何度かあった。仕事に支障が出すぎていた。

それでもまあ、こんな話を書いて自分を励ましながら、もう少し続けていこうと思っている。あの「思ってもみないこと」との出合いを、たのしみにしている。

書きたいことがなくなるまで書く。話はそこからはじまるのだ。