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テンションを伝染すひと。

さきほどまで、本の打ち合わせをしていた。

まことに申し訳ないとは思いつつ、ぼくは編集者のことばをあまり信用していない。もうすこし正確にいうと、編集者たちの語る「ほめことば」をぼくは、あまり信用していない。向こうはほめることを仕事とし、乗せることを仕事とする人たちだ。ぼくが編集者だったとしても、筆の遅い作家を抱えていたら、とりあえずほめるだろうし、乗せようとするだろう。まずは書き上げてもらうことを優先し、中身についてはあとで考えるだろう。


なので編集者と打ち合わせをするとき、ぼくはわりかしテンションが低い。向こうがいろいろほめてくれたとしても、原稿の出来・不出来についてはこちらがいちばんわかっている。なにかが足りていないこと、なにかが余計であること、そこまではわかっている。わからないのはその「なにか」の正体だ。ほめてくれるのはいいから、乗せようとしてくれるのはもういいから、その「なにか」のヒントを与えてくれないかなあ、と思っている。自分ひとりではどうしても、そこに気づきにくい。


きょうの打ち合わせでカッキーは、やたらテンションが高かった。

この人の場合、テンションが高い理由を探ることは困難だ。きのう食べた晩ごはんがおいしかったのかもしれないし、先週観た映画がおもしろかったのかもしれないし、著者候補となるような誰かに会ったのかもしれないし、街で珍妙な看板を見つけたのかもしれないし、もちろんぼくの原稿がおもしろかったのかもしれない。


それでも、付き合いの長さもあって「こちらを乗せようとしているとき」と「ほんとうにテンションが高いとき」の違いは、手に取るようにわかる。

きょうのテンションの高さはたぶん、本の方向性が見えてきたうれしさだ。このままいけば600ページくらいの大著になりそうだけど、いい本ができそうなワクワクが、ぼくにも伝染ってきた。

テンション上げて、がんばっていこう。