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あのとき学んだ生きるための知恵。

話の流れで、小学生のころの記憶をさかのぼっていた。

転勤族の子どもとして生まれ、ぜんぶで4つの小学校を渡り歩いてきたおかげでぼくは、「2年生のころにはあの学校にいた」「3年生になってこの学校に移った」みたいな学年ごとの記憶が、かなり鮮明に残っている。それぞれの校舎も、校歌も、クラスメイトも。そして「4年生のとき、あの先生の授業でこんなことがあった」とかの記憶も。

ところがどうやって思い出そうとしても、1年生当時の記憶が出てこない。入学式のことも憶えていないし、担任の先生も正直、顔と名前がぼんやりしている(1年生の夏に転校したせいもあるのだけれど)。スッキリしないなあ、なにかひとつでも思い出したいなあ、と腕組みしていたら思い出した。

たぶん、校庭だったと思う。

白いシートで模擬的な、横断歩道がつくられていた。そしてみなさんご存じのあれである。

「横断歩道を渡るときは手を挙げて、右、左、右を見て、渡りましょう」

授業だったのかもしれないし、交通安全集会みたいな催しだったのかもしれない。幼稚園でも習っていたことなのかもしれない。とにかくぼくらは勢いよく手を挙げて、アヒルみたいに伸ばした首で右、左、右を見て、校庭の横断歩道をてくてくと渡った。


なんというか、これって生きる知恵そのものだなあ、と思った。横断歩道を渡るときには高く手を挙げること。そして渡る前には右を見て、左を見て、念のためにもう一度、右を見ること。この教えひとつで救われた命、未然に防がれた事故はどれだけあったのだろう。

そしてまた、「右を見て、左を見て、念のためにもう一度、右を見る」は車社会を生き抜くにあたっての教えというだけでなく、情報化社会を生き抜くにあたっての教えでもある。誤った情報や偏った情報に飲まれ、いろいろと残念なことになっている人たちは(思想的な意味ではなく)右を一度見ただけで道路を渡っちゃってる人、と言えなくもない。「違うんだよ、右を見て、その反対も見て、念のためにもう一度、その反対を見て渡るんだよ」とぼくらは、小学1年生にして教えられていたというのに。

右を見て、左を見て、念のためにもう一度、右を見る。

仕事を進めるうえにおいても、文章を書くうえにおいても、その安全確認は大切だ。すごい真理を学んでいたんだなあ、といまさらのように納得している。