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民明書房から遠く離れて。

なにがきっかけだったか忘れたけれど。

週末、『魁!! 男塾』を全巻読んだ。1985年に連載が開始され、1991年に幕を閉じた人気漫画で、累計発行部数は2600万部を超えるのだそうだ。ぼくは1986年〜1987年あたりで週刊少年ジャンプを読まなくなったため、この漫画についても知っているのはせいぜい4〜5巻あたりまで。「はー、こういう漫画だったんだ。こういう漫画として、発展していったんだ」と驚き、感心しながら読んでいった。

で、男塾の発明といえばやはり、民明書房である。ご存じない方々のために申し上げると、『魁!! 男塾』では、しばしば以下のように「民明書房」なる架空の出版社による架空の刊行物を出典とする解説文が挿入されるのだ。

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おそらくは梶原一騎、つのだじろうあたりのパロディと思われるこの手法。毎回ダジャレを差し挟んでいるように、ちゃんとギャグとして認知されればいいのだが、当時の小学生のなかにはこれをホンモノだと信じ込んでいる子どももいた。


ネットリテラシー、ということばが一般化してきた現在、誰かのなにかの発言についても都度都度「ソースはどこ?」を確認する人が増えてきたように思う。しかし世のなかには「ソースは民明書房」レベルの情報もたくさん出回っており、しかも「民明書房はアウトやろ」な目を持ち合わせる人は少なかったりする。

震災のときにも今回のコロナでも思ったことなのだけど、放射線や感染症について専門的知識を持ち合わせないぼくらは、最終的に「誰を信じるか」に行きつかざるを得ない。(自称を含めた)幾人もの専門家たちのことばに耳を傾け、振る舞いをつぶさに観察し、「この人の言うことは信用できる」を探していくしかなかったように、自分自身のこととして思う。

そしてソーシャルメディアという装置は、ことばや肩書きや経歴だけではない、その人の「振る舞い」が如実にあらわれるメディアであって、しっかり使いこなせば有用なツールなのだと思う。


そうだな、たとえばライターとか作家とか編集者とか、ことばのまわりにいる人たちをぼくは、そのことばと同じくらい「振る舞い」で判断している気がするな。ぼくにとって、その人の「振る舞い」と「とりまき」は、ものすごくおおきな判断材料になっています。