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ブランドが売っているもの、売るべきもの。

あやふやな記憶をもとに書くので、細部は間違っているかもしれない。

当時の史上最年少記録でもある24歳にして芥川賞を受賞した村上龍さんは、『限りなく透明に近いブルー』でデビューするまで、ネクタイを締めたことさえなかったという。しかし社会的な事件でもあった芥川賞受賞によって、メディアからの取材が殺到する。授賞式をはじめ、パーティー的な場に参加する機会も増える。そこで彼は(たしか芥川賞の賞金で)アルマーニのスーツをあつらえた。おしゃれだったからでも、アルマーニが好きだったからでもない。「アルマーニを着てりゃ大丈夫だろう」。ただそれだけの理由だ。自分はおしゃれでもなんでもない。アルマーニだったら大丈夫だと思い込んでいる、それだけの男なのだ。

学生のころ、そんな内容の彼のエッセイを読んで、ひどく感心したおぼえがある。ある種、自分の育ちの悪さや田舎者ぶりを表明している発言なのだけど、彼一流の断定的リズムとレトリックによって、それがカッコよく響いてくるのだ。


やがて大人になった自分にも——さすがにアルマーニではないが——いくつかの好きなブランドができた。そして好きなブランドを考えるたび、村上龍さんの発言を思い出す。

けっきょく自分が特定のブランドを求めるのも、「○○だったら大丈夫」の安心感がほしいからなんだろうなあ、と。

ブランドの価値とは安心感であり、信頼感なんだろうなあ、と。

ぼくは確実に「○○だったら大丈夫」の心で、特定のブランドを買いあさるところがある。コーディネート的な発想とは別に、気づくと上から下までそのブランドの服を着ていたりする。安心感を求めた結果だ。

たとえば上から下までユニクロという人だって、コスパ的発想以上に「ユニクロだったら大丈夫」や「ユニクロでも大丈夫」の安心感があるのだろう。「アップルだったら大丈夫」もあるだろうし、「ナイキだったら大丈夫」もあれば、「ディズニーだったら大丈夫」もあるはずだ。ブランドとは究極的に、安心感というイメージを売っているのだ。

けれどもこれはおそろしい話でもあって、安心や信頼のイメージは、簡単に覆されてしまう。ぼく自身にしても、10年前や20年前に愛好していた服飾品について「あのブランドはもう、着たくないなあ」はたくさんある。デザインとか縫製とかの問題ではなく、なんとなくのイメージ(大丈夫感)が損なわれてしまった結果だ。

いま、自分をブランド化させる「セルフブランディング」の活動に熱心な人たち。彼ら・彼女らも、目立つことや賢く見せること、役立つ情報を大量に発信することより、「安心感」を大事に、「この人だったら大丈夫」と信頼されることを最優先で考えるべきなんだと思う。じゃないと、ただの消耗品(by村上龍)で終わっちゃうからね。


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今年、ぼくがいちばん「○○だったら大丈夫」の安心感を持って買いあさったブランドは「THE」でした。

以前から気になっていたブランドなのですが、たまたまTシャツを買ってみたところ、すこぶる自分に具合がよく、そこから他の服飾品はもちろんのこと、日用のグラスから歯磨き粉に至るまで、いろいろと愛用させていただいています。村上龍さんのアルマーニ的な、矢印が外に向いた安心ではなく、それを使う自分(内)に向いた安心がたぶん、心地よいんですよね。