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鍋という名の家族料理。

訪日した海外の方が、「それはちょっと」と思う日本食があるそうだ。

納豆や鮒寿司、またナマコの刺身のように、日本人の一定数も「それはちょっと」と眉をひそめる料理は、当然ある。そうではなく、日本人の大部分に愛されていながら海外の方からすると「それはちょっと」な料理があるというのだ。

鍋である。鍋料理の全般である。

テーブルの中央に置かれた鍋を、幾人もの人間が「自分の箸」でつつきまくる。「自分のねぶった箸」を鍋の湯に差し入れ、肉や野菜をつかみ、おのれの小皿へと引き上げる。この一連が、たまらなく不衛生に感じられるのだそうだ。言われてみればごもっともな意見だし、特に「飛沫」という名の唾液を強く意識するようになった昨今、鍋料理に関する意識やマナーも大きく変化したのではないかと思われる。もしかすると、両国のちゃんこ屋さんや、博多のもつ鍋屋さんなどは、この2年でほかの飲食店以上の苦境に立たされているのかもしれない。

一方、ぼくは夏以外のほぼ毎週末、なんらかの鍋料理を食べている。きのうも豚肉とほうれん草の常夜鍋を食べたところだ。

で、思うのだ。「家庭料理」なることばがあるけれど、鍋というのはもしかすると「家族料理」と呼べはしないか、と。

家庭というよりも家族の料理。すなわち、それを食する「場」よりも、卓を囲む人びとの「関係性」が重視される料理。

あまりお行儀のよい行為ではなくとも、直箸で鍋をつつき合える関係は、かなり家族に近い気がする。たとえ血縁や戸籍上の家族でなかったとしても。

鍋は、縄文時代の人たちが食べていても不思議でないくらい、原始的な料理だ。火を囲み、鍋を囲み、暖を囲む。きっと鍋が取り持ってくれた関係が、この国には数えきれないほどたくさんあるだろう。

来週もまた、鍋を食べよう。